第90回例会報告


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日時:2007年7月21日(土)14:00〜17:00
会場:名古屋芸術大学音楽学部 1号館701教室

【研究発表】

司会:金子敦子
プロコフィエフの日本滞在と大田黒元雄の功績 〜日記・報道・雑誌をもとに〜:伊藤朝子(愛知県立芸術大学大学院)
ピアノ学習者のためのストレッチ:山田明子(シニア・モデル)
Melodyne3.2の活用によるMusical Dialectの視覚フィードバック 〜沖縄民謡・長唄の学習のアクションサーチ〜:村尾忠廣(愛知教育大学)

【特別講演】

「新バッハ全集」完結〜その成果と問題点:磯山雅(日本音楽学会会長・国立音楽大学教授)

 

【研究発表】

■発表要旨

プロコフィエフの日本滞在と大田黒元雄の功績 〜日記・報道・雑誌をもとに〜

伊藤朝子(愛知県立芸術大学大学院)

ロシアの作曲家プロコフィエフSergei Prokofiev(1891-1953)が、1918年にシベリア経由でアメリカへ渡る際、日本に短期間滞在していたことは広く知られているが、彼の日本滞在についての詳細は不明であった。しかし、2002年にプロコフィエフの日記がパリで刊行されたことにより、様々なことが明らかになった。

修士論文では、この日記を含めた、これまでのプロコフィエフ研究を踏まえ、彼が来日したことの意義を考察することを目的とした。そのために、今回は、彼の来日当時に刊行された「時事時報」「東京毎日新聞」「讀売新聞」「東京朝日新聞」「都新聞」「報知新聞」「JAPAN TIMES」「JAPAN GAZETTE」の8紙と「音楽と文学」「音楽」「音楽界」の3誌に掲載された記事を調査し、プロコフィエフの日本滞在の様子や彼が日本でどのように受け入れられたのかを検証した。

第1章においては、プロコフィエフが日本滞在中に書いた日記をもとに、プロコフィエフの日本における行動の詳細を検証した。まず、第1節では、プロコフィエフが日本へ向かって旅立ち、演奏会を開催することになった経緯を、第2節では、プロコフィエフが日本滞在中に触れた日本文化と演奏会に向けた準備の様子を調査した。そして、第3節では、演奏会終了後、プロコフィエフが興行師と決別した経緯や日本を発つまでに多くの時間を過ごした大森での日々を詳しく調べた。これらの検証の結果、彼の行動の詳細が明らかになり、また、日記に記された彼自身の言葉からは、彼の人間性を見出すことができた。

第2章においては、プロコフィエフの来日前後に刊行された雑誌の記事や新聞記事をもとに、日本の音楽界がプロコフィエフの来日をどのように迎えたか、また彼の来日が日本の音楽界にどのような影響を与えたかについて検証した。まず、第1節では、プロコフィエフが来日する以前の、彼についての記事を紹介し、日本人がどれほどの知識を得た状態で、プロコフィエフの来日を迎えたかを詳しく調査した。そして、第2節では、プロコフィエフ来日後に公表された、彼に関する記事を紹介し、日本人がプロコフィエフについて、実際どれほどの興味を示したかについて検討した。これらの検証の結果、プロコフィエフ来日前には、大田黒元雄の論文により、プロコフィエフが既に紹介されていたことが明らかになった。そして、この論文がプロコフィエフを一部の愛好者に知らせたことに加え、プロコフィエフ来日の報道と演奏会広告によって、プロコフィエフという名前が新聞各紙に載り、多くの人に知らされたと考える。また、演奏会開催によって、初めて彼の音楽を聴くことができたことが明らかになった。

第3章においては、雑誌「音楽と文学」をもとに、日本の音楽界に知らされた、大田黒によるプロコフィエフの行動や作品について検証した。まず、第1節では、大田黒元雄がプロコフィエフ来日の一報を受け、彼と出会い歓談した様子を、第2節では、大田黒元雄が記したプロコフィエフの演奏会の印象を調査した。そして、第3節では、プロコフィエフが来日を発つ前の約1週間、大田黒元雄と共に過ごした様子を詳しく調べた。これらの検証によって、大田黒がプロコフィエフと深い親交を結んでいたことが明らかになった。そして、大田黒は、プロコフィエフとの直接的な関わりを通して文章を書き、著作では、彼の芸術だけでなく、人間性についても多くを語っている。

以上の考察を通して、プロコフィエフの日本滞在の様子の詳細とプロコフィエフに対する当時の日本の反応がわかった。また、プロコフィエフ来日前に日本の音楽界にプロコフィエフを紹介し、プロコフィエフの日本滞在中には彼の情報を即座に伝え、離日後もプロコフィエフについて多くの著作をのこした大田黒元雄の功績は偉大なものであるといえる。

 

ピアノ学習者のためのストレッチ

山田明子(シニア・モデル)

ピアノのテクニック向上を狙って、甲野善紀先生の古武術が音楽大学に取り入れられるようになった。私自身は、モダンダンスの師・神沢和夫で先生から「古武術の初歩」を又聞きした程度であるが、甲野先生のご著作は概ね愛読しており、その精神を学ぶことは、ピアノ学習者に限らず広く一般の人にも非常に有益だとさえ思っている。にもかかわらず、具体的な「古武術の技」を私自身が取り入れていないことを当日質問されたため、これにお答えすることから話を始めたいと思う。

古武術の専門家でない限り、古武術を学ぶ目的を見失って「古武術の稽古自体」を目的化するのはいかがなものか、と私は考えている。例えば「井桁崩し」は、「動きの脈絡を消し自分が次にどう動くかを相手に予測させないための技」であるから、バスケット選手や野球選手がこれをマスターするのは有効である。だが、ピアニストは、脱力し、重心を移動させて弾くことを掴めば良いのであり、次にどう動くかの気配を消す必要はないのだから、武術愛好家さえ難しがっている「井桁崩し」をマスターする労力ほどをかける必要があるのだろうか?また、古武術は万能ではない。私は職業柄、身体を立体的に見せるため、「胸に空気を入れて拡げている」ので、古武術を学び始めた方々には「胸を張っている」と写るかもしれないが、古武術で求められる「胸の落ち」は、古武術以外の世界では日本人的で貧相な上半身と受け取られやすく、私には必要ないのである。

と言うような次第で今回は、ピアノ演奏に必要な身体感覚を磨く方法として、「古武術」よりも閾(しきい)の低い「ストレッチ」によって身体の可動範囲を拡げる方法をご紹介したつもりである。便宜上「ストレッチ」と呼んでいるが、これらは、ヨーゼフ・ガードによって考案された体操およびアルフレッド・コルトーのピアノ・メトードに、私なりの解釈を加えたものである。

ピアノに座る前に行うストレッチの一例として以下の4つをご紹介した。@脱力感覚を得る・・・身体の重心を左脚にかけ、右半身全体を空っぽにする。反対側も行い、ピアノを打鍵している指のみに体重が乗り、他の指は体重が抜けている感覚をつかむ。A脊柱のストレッチ・・・掌を外に向け両腕を伸ばして頭の上に持ち上げ、手を交差させて掌を合わせる。左脚を前にして交差させた場合と、右脚を前にして交差させた場合の両方を行い、身体の上下を長く伸ばすつもりで上に伸びようとする。B腕のストレッチ・・・左腕を斜め上、右腕を斜め下に伸ばして両腕を引っ張る。(反対側も)C脚のストレッチ・・・両脚を揃え、肩幅に開いて立ち、両手を身体の前に置き、足の裏側を良く伸ばす。座れる状態にあれば、脚を股関節から左右に開いて脚の内側を伸ばす。

ピアノを利用したストレッチの一例としては以下の4つをご紹介した。@背中のストレッチ・・・顎を譜面台に乗せ、両腕左右に伸ばして鍵盤上に乗せて脱力し、主に僧帽筋を伸ばす。A腕の回転・・・2オクターブ幅に開いて親指から小指まで順に打鍵した状態で腕を回すが、その際、肩と打鍵している指とで腕を支えながら外回し・内回しする。B手首のストレッチ(上下)・・・指を上向きにして手首を下げた後、肘をできる限り下げて手の甲を伸ばす。(左右)・・・動かしていない手で手首を押さえ、手首の先以外は動かさないようにしながら、手首の先をなるべく大きく左右に動かす。慣れたら、手首を押さえなくてもできるようにする。C指のストレッチ(上下)・・・鍵盤を利用して、指を一本ずつ垂直に伸ばす。(拡張)・・・拡げる指を決め、鍵盤の幅を利用して指の間を拡げる。

これらを行う場合、自然に呼吸して身体の「気の流れ」をよくすると「鼓動」が高まり、ピアノを弾くことによって生じるストレスも軽減出来る。また、全ての動きは身体の重心移動を感じながら行い、鍵盤上を指で歩く感覚を身に付けられたい。普段、私がこれらのストレッチを行う際には、ピアノではなく「無音鍵盤」と呼ばれる特殊な鍵盤装置を使っている。もし、次回の発表を行うことが許されるなら、無音鍵盤の上で腕を脱力して落とす様子を皆さんにごらんいただきたいと思っている。

参考文献
ヨーゼフ・ガード「ピアノ演奏のテクニック」
大宮真琴訳、音楽之友社、1974年。
Cortot,Alfred,Rational Principles of Piano-forte Technique.Translated by R.le Roy-Metaxas Paris:Editions Salabert,1980.
藤本雅美「ピアノのためのフィンガートレーニング」音楽之友社、1986年。

 

Melodyne3.2の活用によるMusical Dialectの視覚フィードバック 〜沖縄民謡・長唄の学習のアクションサーチ〜

村尾忠廣(愛知教育大学)

1.沖縄民謡を沖縄らしくしているのは何か Okinawa Musical Dialect

はじめに、この歌を聴いてください。これは何という歌でしょう?今の若い人はご存知ないかもしれませんが、中高年の方はどなたもよく知っている有名な曲です。まるで沖縄民謡そのもののように聞こえると思いますが、そうではありません。曲の冒頭を聴いてみましょう。お分かりになったでしょうか。S.フォスター作曲の「金髪のジェニー(Jannie with Light Brown Hair)」です。アメリカの作曲家の作った歌ですから、もちろん、沖縄音楽ではなく、西洋のダイアトニック音階で作られています。考えてみれば、沖縄民謡の代表のようにみなされ、教科書にまで登場する「安里屋ユンタ」は、ヨナ抜きの「ドレミソラド」ですし、「てぃんぐさぬ花」は「ドレミファソラシド」の音階で作られています。沖縄民謡の代表とされる唄がその実、沖縄音階で作られていないのです。とすれば、沖縄的と感じさせるものは何なのでしょう。音階上の音の推移確立という見方もあるでしょう。しかし、私は沖縄風の歌い方により大きな要因があると考えています。同じ話し言葉でも、地域によって微妙なイントネーションの違いがあって、岩手には岩手弁、宮崎には宮崎弁の訛りがあります。音楽にも同様な音楽的訛りがあるはずです。ですから、沖縄の人が沖縄訛りのイントネーションで歌えば西洋音楽でさえ沖縄民謡らしくなってしまうのです。そのことを坂本龍一が証明してしまいました。先ほど聴いていただいた「金髪のジェニー」は坂本龍一のアルバム「Beauty」の中に納められています。坂本の編曲ではありますが、フォスターの旋律、リズムは楽譜通りに正確に歌っているのです。

さて、そうしますとこれまでの沖縄民謡の研究とか教育とはいったい何だったのか、と問い直さないわけにはゆきません。

2.Musical Dialectの概念と研究方法

地域社会における固有の話し言葉の訛りは、dialect(方言)と言われます。沖縄の人たちの歌い方の訛りは、沖縄のMusical Dialectと呼ぶことが出来るでしょう。Musical Dialectという概念は私が考え出したものですが、しかし、いろいろ調べてみますと、ジャズ研究の世界においてはかなり一般的に使用されている用語となっていました。マイルス・デイヴィスは彼独特の演奏スタイルを持っていますが、スタイルというより彼のMusical Dialectというべきではないか、という考え方です。地域的な音楽訛りの場合にはRegional Musical Dialectというような表現もあります。いずれにしましてもMusical Dialectは、五線譜にあらわすことの出来ない微妙なイントネーション、リズムの細かな癖が絡んできます。音楽学や音楽教育学においてMusical Dialectの概念が中心的に取り上げられてこなかったのは、この微妙なイントネーションについての研究が一部のマニアックな音響研究者を除いて解析が困難であったからでしょう。しかし、状況は一変しました。非常に使いやすく、安価で高度な解析が出来るようなツールが次々と商品化されてきているからです。

3.Protoold + AutotuneからMelodyne3.2によるMusical Dialectのアクションリサーチ 長唄「五郎時到」を例に

Dialectのような微妙なイントネーションを学習するには、師匠から直接口移しで伝授してもらうのが一番よいでしょう。しかし、多様な音楽を限られた時間内に教えなければならない音楽教師にとってこれは不可能です。そこで、お師匠さんから口移しに学ぶ方法を最新の科学技術の助けをかりて学習するということが一つの方法として考えられます。私たちは最初にCSL4400、ついでにProtools+Autotuneを使って音響解析と視覚フィードバックによる沖縄民謡の学習という研究をしてきました。これらは、非常に高価な機器です。ところが、最近になってCelemony社のMelodyneというソフトが安価・高性能でしかも使い勝手よい、ということがわかりました。下記はそのMelodyne3.2による視覚フィードバックの例です。

歌っているのは、東音・山田卓先生です。吉住流のMusical Dialectといってよいでしょう。「五郎」の出だし「さるほどに」の「さるー」の部分です。山田先生は、長唄では決して歌いだしの最初の一音「さ」は音程をとってはいきえない、第二音「る」で音程をとるように言われます。たしかに「さ」は「アタリ」の技法のようにコブを作っています。「る」のピッチはA3より4セント低い220Hzです。ピッチ曲線の上のL・Rで範囲を指定しますと、この部分だけを何度も繰り返して演奏してくれます。これをイアホンで聴きながらシャドウィングし、録音し、そしてモデルと比較することができます。

このような学習は最新のメディア機器を活用しているものの、基本的な方法は伝統的な全体模倣ということになります。伝統的な学習法にとってかわるものではなく、伝統的な教授・学習を現代科学技術によって生かすといえるでしょう。これは、研究の対象である学習実践者が研究者自身であるという意味において、アクションリサーチの一つです。締め括りに代えて、このアクションリサーチの音楽教育学のみならず、音楽学においても今後発展させるべき研究方法ではないか、と提言させていただきます。

 

【特別講演】

「新バッハ全集」完結〜その成果と問題点

磯山雅(日本音楽学会会長・国立音楽大学教授)

2007年6月13日、ライプツィで「新バッハ全集 Neue-Bach Ausgabe」の完結記念式典が開かれた。それがNHKの定時ニュースでも報道されたことは、バッハ研究の成果に対して一般の関心が高いことの証明であった。この機会にその成果と問題点を検証しよう。

新全集は、「旧全集」(「バッハ協会版全集 Gesamtausgabe der Bach-Gesellschaft」、1850-1900年刊行)を前提として成立した。「旧」と呼ぶと不備・未熟という印象を受けやすいが、じっさいには原典版の先駆けをなす、音楽的で優秀な楽譜である。それとの対決を強いられたからこそ、新全集の編纂も、妥協のない徹底した作業となっていった。

バッハ没後二百年に決定された刊行のために、ゲッティンゲンにJohann Sebastian Bach-Institut Gottingenが設立された(1951年)。同研究所(西独)とBach-Archiv Leipzig(東独)、Barenreiter社(西独)とDeutscher Verlag fur Musik(東独)の協力のもと、1954年、冒巻頭「待降節のためのカンタータ集」が出版される。現存する資料を可能な限り集めて精査する学術的な姿勢と、楽譜としての実用性(たとえば声楽パートにおける3種のハ音記号をト音記号に統一する)を両立させることが、新全集の基本的な方針であった。

刊行の必要に迫られて、研究は目に見えて進展した。W.ヴァイスによる透かしカタログの作成、筆跡鑑定の進展に基ずくA.DurrとG.von Dadelsenのカンタータ成立年代研究、H.J.Schulzeによるコピストの同定など、資料研究の新しい成果が次々とあらわれ、小林義武に受け継がれた。それらはいわば、新全集プロジェクトの輝ける副産物であった。

だがその過程で、20〜25年で完結という目算は外れてしまった。その理由は、学問的精密さへの要求が加速度的に高まったこと、困難な巻が先送りされたこと、東西ドイツ分割の固定化に妨げられたことなどである。遅延を重ねた末、新全集は2006年に、一種見切りをつけるような形で完結する。楽譜、校訂報告、補巻や資料集など、計219冊に及ぶ全体は、音楽学、とりわけ資料研究の最先端を凝縮した壮挙というに値する。  最後期の巻のいくつかでは、真偽不明のため先送りされていた作品が、真偽問題を棚上げして多数収録された(フルート・ソナタBWM1031など)。これは、真作のみを収録して明瞭なバッハ像を浮かび上がらせるとする当初の原則を修正するものであった。また、バッハが他者(バレストリーナ、ベルゴレージなど)の作品の進展や新しい発見をどう対応するかなど、完結に伴って生じる課題もある。反面期待されるのは、分売やセット販売、ネット配信を通じて、成果が手に入りやすくなることである。完結に伴ってゲッティンゲンの研究所は閉鎖され、バッハ・アルヒーフが一括して研究を所轄することになった。

さて、新全集は使いやすいであろうか。別冊化された詳細な校訂報告は新全集の生命とされるが、文学中心に提供された情報は難解で、活用できる人は少ない。カンタータの体系的な分類は、曲を探し出すには、かえって不便である。作品の成立段階を綿密に跡づけ、区別された「縞」を独自の存在として扱うという姿勢は新全集の売りであるが、それは(4種の縞で1冊となったBWV182の場合が示すように)利用者に高いスキルを要求し、費用の高騰を招く結果にもなっている。スリム化された安価な再編集版が作られれば、歓迎されることだろう。また、昨今の画像処理能力をもってすれば、ファクシミリのシリーズや、画像版の校訂報告も可能になるはずである。それがネットで閲覧できるようになれば素晴らしいが、そのためには専門的な情報に対して適切な対価が提供されるという難題がクリアされなくてはならない。

結局避けて通れないのが、経費の問題である。自筆譜の保存、資料の光学的分析など、多額の経費を要するプロジェクトが、この分野に山積している。それは好奇心を呼び起こす課題であるが、こうした時代にどこまでの投資が許されるのか、議論が必要にも思われる。同じ分野でさえ、資金難から刊行の遅れている新全集プロジェクトが数多くあるからだ。今後は費用対効果の観点を折り込み、バランスのよいアウトプットを行うことによって社会的コンセンサスを得る工夫も、研究者には必要とされることだろう。そんなことを考えざるを得ないところまで、新全集は来てしまった。


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