第88回例会報告
日時:2006年12月9日(土)14:00〜17:00
会場:名古屋芸術大学音楽学部 5号館301教室
【研究発表】
司会:金子敦子(名古屋芸術大学)
長江紗香(名古屋市立大学院芸術工学研究科):音色空間とピッチ/コード空間の視覚化に関する研究 中間報告
新海立子(中京大学非常勤):歌舞伎囃子における三番叟の能管旋律
安原雅之(愛知県立芸術大学):テルミンからANSへ:旧ソ連における電子楽器
【研究発表】
音楽を含むメディアアート作品における視聴覚融合のあり方について
はじめに
本発表は「音楽を含むメディアアート」の現状と課題に関する研究の中間報告である。ここでの視聴覚融合のあり方について先行研究を参照し、視聴覚融合の際の音楽側のパラメータ設定を考察し、音色空間とピッチ/コード空間の視覚化に関する調査をまとめる。
1.序論〜形態、作品提示のメディア
まず、様々な視点から音楽を含むメディアアートの分類について考察した。
1-1 一般的状況
1-2 分類基準その1:インスタレーションかパフォーマンスか、あるいは「空間/モノ」か、「時間」か
1-3 分類基準その2:視覚か聴覚か視聴覚か、あるいは、視聴覚の感覚差異を超えた論理/アルゴリズムか
1-4 分類基準その3:インターフェイスやトータルシステム設計が、感覚器官を固定したままの、いわゆる「総合/統合型」で作品を作り上げるのか、あるいは、感覚器官や身体反応の組み替えを目的とする作品なのか
2.コンピュータを介しての音の情報の視覚化
2-1 作品レベルでの対応〜赤松正行氏の作品から
<AXES>
情報環境に存在する目に見えない情報を仮想3次元空間上に存在する音源として表現し、これらは作品内に独自の音楽空間を構築する。
<MurMur World>
VRMLによる空間的な音楽環境の作品である。
<伊曽保物語>
素浄瑠璃とメディアテクノロジーによる舞台作品である。
2-2 David Wesselによる先行研究「幾何学的モデルで直観的に特徴づけられ制御された音楽的構成要素」
ウェッセルの研究の目的は音楽的構成要素の知覚や認識の構造にあり、焦点は音楽的に知覚できる次元の簡略化である。また、空間の隠喩のモデリングや次元簡略化テクニックを作曲や音楽パフォーマンスの実用に用いることが新規性である。彼はMax/MSPやJitterを使って多くのシステムを実行したが、これが音楽的直感に従って行動する事を可能にした。
2-3 Ludger Brummerによる音の空間性と視覚空間
(1)<Gestalt>
ブリュンマーは、テープ作品<Gestalt>でリズム上のオブジェを生み出すために物理モデルを用いた。ある音響を一つのオブジェと措定し新たな音響を再生産するこの手法では、フレーズ全体を結びつけ変化させながら複合的音楽フレーズを作り、音の聞き方に基づく柔軟なパラメータ設定を可能にし、映像と音楽を対応させる際の音楽側の枠組みにも応用された。
(2)<Le temps s’ ouvre>
これは、ブリュンマーによる音楽[Thrill]と、ジルケブレーマーによる映像“Le temps s’ ouvre”で構成されるオーディオヴィジュアル作品である。デジタル的手法で生み出された動きや認知的空間を人工的に構成された音と並列すると、類似や同一、相違や緊張が表れる。
3.まとめと今後の展望
作品レベルでの対応で見られた、視覚的要素での操作で音楽空間を創出、音楽聴取方法を選択するという音楽環境の新たな一面は、日常生活にも活かされるべきである。ウェッセルの先行研究では、音楽的構成要素を視覚化し、MAX/MSPやJitterを用いることで空間の隠喩のモデリングや次元の簡略化を果たしている。ブリュンマーは、「オブジェとその再構成」という方法で無限に音楽的要素を創り出す可能性を提示し、その過程を視覚化することで音の変化を認識しながらサウンドシステムの操作を行うことを可能にした。
音楽を含むメディアアートでは、音色やピッチ、コードなど、より複雑で高次元な要素を視覚化することが作品の制作に有効な 手段だと再認識できた。また、今後さらなる周辺文献の検索、先行制作、作品の調査を行い、研究のための実験制作や作品のための研究を行っていく。
4.参考文献/URL
「芸術工学への誘い」名古屋市立大学
「音響設計学入門」九州大学出版社
「メディアと芸術」三井秀樹著/集英社新書
http://www.iamas.ac.jp/~aka/
http://hct.ece.ubc.ca/nime/2003/onlineproceedings/Papers/NIME03_Momeni.pdf
http://www-acroe.imag.fr/AST2000/044-bru.htm
http://www.ircam.fr/logiciels_forum.html?&L=1&L=1&encryptionKey=&tx_ircamboutique_pil[showUid]=5&cHash=676c0b0385
http://hct.ece.ubc.ca/nime/2003/onlineproceedings/Papers/NIME03_Cadoz.pdf
歌舞伎囃子における三番叟の能管旋律〜能楽囃子「揉ノ段」の地と比較して〜
歌舞伎囃子における能管演奏について、平野健次氏は「神楽」のラアラアヒャイツという能管旋律を含む例、吉丸直子氏は長唄「英執着獅子」の囃子、三浦裕子氏は長唄「石橋」の「獅子」部分など、研究者は能楽囃子から変化した囃子手組の秩序に起因する違いを指摘している。一方、人間国宝寳山左衛門氏は、歌舞伎囃子の能管ではどこまでも歌舞伎、芝居や長唄をひきたたせるための演奏方法が必要であり、能楽囃子の笛方が吹く能のための演奏方法と同じであってはならないと述べている。そこで私は、歌舞伎で「三番の地」、能楽で「揉ノ段」の地と呼ばれるほぼ同じ囃子手組を祝賀気分という共通する雰囲気で小鼓方が打ち続ける、三番叟の能管旋律を検討したいと考えた。
今回の調査対象は、尾張藩以来名古屋で活躍する伊和家流囃子と能楽囃子藤田流の能管旋律である。昭和初期以来日本舞踊の地方を勤め、太鼓、大小鼓、しの笛や能管の稽古を行ってきた家元故伊和家小米師に、私は1989年1月から2002年3月まで学び、資料を得た。また、藤田流能管は家元藤田六郎兵衛師と、職分鹿取希世師に1988年2月から現在まで一対一の教授形態で学んでいる。能管は通例1本づつ音高が違うので、異なる二流儀間で能管旋律の音高比較を可能にするために、藤田流だけでなく伊和家流でも藤田流能管のプラスチック製コピー楽器を用い、これを演奏して出る音を五線譜に採譜し、指使いを書き入れた。そして、両者を比較したところ、次のような特徴が明らかになった。
伊和家流「三番叟モミノ段」の唱歌は、藤田流「三番叟揉ノ段」の唱歌とほとんど一致している。特に冒頭のヒイピウリウヒは、文字だけでなく指使いや音まで一致している。けれども伊和家流では1、3、4、5、6、7拍の上に乗って吹くのに、藤田流では2拍からヒーと吹きのばして息継ぎすると4、5拍上ではピウーと吹き、リウを小鼓が6.5拍と7拍で打つ打音に合わせ、8拍から次の1拍を超えるまでヒーと吹きのばす、全く違う伸縮と文節方法になっている。次の伊和家流ヒョヲルララリヤリと藤田流ヒョルララリヤリも文字がほぼ一致しているのにノリが違い、指使いも違うから能管旋律は全く違う。伊和家流では右手薬指と小指を上げた状態ヒョを1拍から吹きのばし、3拍ルで指穴を全部閉じるので音高が下がる。4拍ラで再び右手薬指と小指を上げるので音高は1拍のヒョと同じになる。そして、5拍ラでは右手小指を押さえ、人差し指と中指、薬指も上げた状態のまま左手中指を打ち、装飾音をつけて吹きのばす。リで左手中指と薬指も上げ、ヤでは左手の指穴を全部ふさぎ、次のリでは左手薬指を上げて、違う高さのリで吹ききる。一方藤田流ではヒシギが切れた後2拍から右手中指と薬指を上げてヒョを付吹き、3拍ルで右手人差し指を上げるので音高が上がる。そして、4拍ラで左手薬指を上がるの音高はさらに上がる。5拍ラで左手中指を打ち、リヤリと吹く指使いは、左手中指、薬指、右手人差し指、中指、薬指を上げたリから左手中指押さえて放すので、2度同じ高さのリを吹くことになる。以下伊和家流の指使いと旋律で、藤田流「地」5鎖のうち一致しているのは5鎖目後半でだけである。目立つのはヒョルラと唄う唱歌で、伊和家流は逆山型旋律であるのに反し、藤田流では順次上がって行く旋律である。そして、能の能管三流儀で森田流だけがこの部分で伊和家流に類似する旋律を演奏している。
伊和家流家元は、長唄の社中から囃子演奏の依頼があれば、その三味線に合うよう囃子を編曲し、当日の鳴物全体を仕切っていた。囃子方の人間関係になじみ、本番の舞台をふむと、上級者は複数の楽器が演奏でき、ほかの楽器との折り合わせを覚えていることがわかったので、私は太鼓や小鼓も舞台に出るまで練習した。また、能管演奏の稽古は、しの笛を長唄三味線演奏者に沿って演奏するから、長年これを繰り返すうちに、たとえ能管でも吹き過ぎず、隠し味のように吹くことを心得て、信頼の厚い笛の演奏者に育つのである。これに対し藤田流能管の稽古は、気合いと間を重視し、半ば格闘技のような真剣勝負を要求するものだった。こうした環境が、能管演奏の雰囲気の違いに影響すると見る事もできよう。 詳しく調べれば違う旋律であるにもかかわらず、どちらも三番叟の能管旋律として尾張地域の人々に長年親しまれてきた。肩の凝らない歌舞伎囃子に対する能楽囃子の真剣勝負という味わいの違いは、稽古段階に遡れば、より鮮明になると言えよう。
テルミンからANSへ:旧ソ連における電子楽器
この研究は、1920年に発明された最初機の電子楽器テルミンからANSまでの旧ソ連における電子楽器の歴史を概観し、それらの今日的意義を考察するものである。
テルミンは、ロシアのレフ=セルゲイヴィチ=テルミン Lev Sergeyevich Termien [Leon Theremin](1896-1993)によって1920年に発明された最初期の電子楽器であり、本体から突き出た2本のアンテナに左右の手をかざすことによって音程と音量をコントロールする楽器である。1922年にはレーニンを前にデモンストレーションが行われ、“電化”を主要な国家政策に掲げていた革命直後のソビエトにおいて、テルミンは大きな注目を集めた。1927年からアメリカに滞在した発明者は、ニューヨークに開設したラボにおける研究とテルミンの普及活動を続けた。アメリカでは、1930年に弦のないチェロ(フィンガーボードテルミン)を、また、32年には特殊な台の上に位置するダンサーの動きによって音をコントロールするテルプシトンTerpsitonと、複数のリズムを同時に刻むことができるリトミコンRitmikonを発明している。その他、鍵盤付きのテルミンや、テルミンの原理を利用した自動ドアなども考案していた。
テルミンは30年代末に本国へ帰国するが、帰国の理由や、その後の彼の動向については長いこと世界に知られる事はなかった。
ソ連において、テルミンの後継となるさまざまな楽器が開発されていたが、それらには次のような楽器が含まれる。
エレクトロニックハルモニウム electric harmonium(1924年):モスクワの国立音楽研究所GIMN(以下、GIMN)で開発された鍵盤楽器。4つの音まで同時に出す事ができる。
ソナール Sonar(1926年頃):レニングラードで、ニコライアナニエフらが開発したフィンガーボード楽器。
ヴィオレナ Violena(1927年):GIMNで開発されたフィンガーボード楽器。
ニミ NIMI(1932年頃):モスクワ音楽院の音響研究所NIMI(以下、NIMI)で開発された鍵盤楽器。単音のみ演奏可。
ヴァリアフォン Variafon(1932年):エフゲニーショルポによって開発された“ドローンサウンド”のための機器。
エミリトン Emiriton(1932〜35、44年):レニングラードの楽器産業研究所および演劇、音楽研究所でアンドレイリムスキー=コルサコフ、アレクサンドルイヴァノフらによって開発されたフィンガーボード楽器。
エクヴォディン Ekvodin(1930年〜50年代):GIMNで開発された。41鍵で、660通りの音色が出せる。1950年代に商品化され、1958年のブリュッセル万博と、翌59年の国民経済達成博覧会(モスクワ)で金メダル受賞。
ネオヴィオレナ neoviolena(1936年):NIMIで開発された。
コンパノラ Komanola(1938、48年):NIMIで開発された。
シュモフォン Shumofon(1955年頃):NIMIで開発されたもので、効果音を発する。
アンス ANS(1958年):エフゲニームルジンによって、スクリャービンの家博物館に創設されたラボ(モスクワ電子音楽実験スタジオの前身)で開発されたシンセサイザー。1オクターブは72分割され、720種類の音色を出すことができる。シュニトケ Alfred Schnittke(1934〜1998)、デニソフ Edison Denisov(1929〜1996年)、グバイドゥーリナ Sofiya Asgatovna Gubaidulina(1931年〜)らが、ANSのための作品を作曲している。
テルミンが初めて公式に発表されたのは1921年10月5日、ロシア電化委員会 GOELROの主催による第8回全ロシア電子技術会議においてのことであった。社会主義国ソビエトにおける電子楽器の開発は、そもそも国家による電化政策という大きな流れのなかではじまったのだ。西側における電子楽器の開発が音楽産業の発展と連動していたのに対して、旧ソ連における電子楽器はむしろ、科学技術がもたらすユートピアを体現するものとして、プロパガンダに利用されていたとも考えられるだろう。しかし1960年代以降、旧ソ連における電子楽器は遅れをとっていき、それに伴って電子楽器が当初有していたユートピア的アウラも失われていった。