第85回例会報告


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日時:2005年12月10日(土)13:00〜17:00
会場:名古屋芸術大学音楽学部5号館301教室

【研究発表】

司会:金子敦子
エドヴァルド・グリーグの連作歌曲<丘の妖精>における詩と音楽:小林ひかり(大阪大学大学院博士課程)
生涯学習におけるオカリーナの役割〜日・韓の発展の比較〜:加藤いつみ(名古屋市立大学)

【調査報告】

船橋コレクション「Dhodro Banam」およびその他の弦楽器に関する調査報告:梅田徹(浜松市楽器博物館)

【船橋楽器資料館見学】

 

【研究発表】

■発表要旨

エドヴァルド・グリーグの連作歌曲<丘の妖精>における詩と音楽

小林ひかり(大阪大学大学院博士課程)

発表者は、グリーグ(Edvard Grieg、1843−1907)の後期の連作歌曲<丘の妖精>Op.67を、当時のノルウェーにおける社会的・文化的コンテクストの中に置き、詩の選択、詩と音楽との関係、民俗音楽との関連、作風の変遷などにおいて表れる民族主義的な性格について考察することを目的とした研究を行っている。本発表では、そのうちの詩と音楽との関係に重点を置く。この連作については、これまで、音楽そのもの以上に成立背景や書簡資料が注目されてきた。そこで本発表では楽曲様式に主眼を置き、当時の社会や文学の世界における民族主義的な動向との関係を明らかにすることを試みる。  ノルウェーは、1937年のカルマル連合以降約400年にわたって、スウェーデンとともにデンマークに政治的に従属していた。ナポレオン戦争中の1814年には一度独立するものの、同時にスウェーデンと同君連合を結ぶことになり、事実上はスウェーデンの支配下に置かれた。産業が発展した19世紀において、自由と独立を求める動きはますます強まり、1905年6月7日について独立を宣言することができた。グリーグが亡くなる2年前のことである。

当時の民族意識の高まりは、文学の世界において色濃く表れている。ノルウェーの古い時代の歴史、神話、伝説、民話や民族詩などへの関心が高まった。そのうちの重要な出来事に国語改革がある。オーセンは、19世紀半ばにノルウェー各地の方言を収集し、それらをもとにひとつの書き言葉を大成した。それがランスモール(landsmall)で、以降、論争を引き起こしつつ改正を重ねていくことになった。ランスモールはいわば作られた言語であったにもかかわらず、古来のノルウェー語に近い形を示していたので、自国の古くからの伝統を反映する言語として一部の人々に重要視された。他方、当時のノルウェーにおける公式の言語はリクスモール(riksmal)で、これはデンマーク語の影響を強く受けていた。

文学の世界では、次第にランスモールで作品を書くことが行われるようになった。初期の作家としてはヴィニェがおり、重要な作家としてはアーネ・ガルボルグが挙げられる。1895年に完成したガルボルグの詩歌<丘の妖精>は71篇から成る連作で、ノルウェー南西部に位置する作家の故郷ヤーレンの自然を背景に、透視力を持つ牛飼いの少女ヴェスレモイの体験する自然、恋愛、地下の世界(ノルウェーの民話で言い伝えられている、妖精トロルなどが住む地の下の世界)が描かれている。グリーグはこの詩集を手にした時、大いに感銘を受け、出版と同年に20篇の詩に取り組んだ。そしてそのうちの8曲が最終的に連作歌曲<丘の妖精>Op.67として1898年に出版された。  このような歴史的背景や文学の世界における民族主義的な動向を踏まえてグリーグの歌曲作品全体を眺めると、詩の選択においてある興味深い傾向が認められる。彼は青年時代にライブツィヒ音楽院で学び、ごく初期の作品ではドイツ語の詩を使った。卒業後コペンハーゲンに移るとアンデルセンなどのデンマーク語の詩を、ノルウェーに戻ってからはビョルンソンやイプセン等のリクスモールの詩を用いるようになった。その後ノルウェーの自然や地方の人々と触れる機会を持つうちに、ランスモールで書かれたヴィニェやガルボルグの詩に惹かれるようになった。

このような成立背景を踏まえて、グリーグの<丘の妖精>における作曲様式を詩との関係において見てみたい。ここでは例として終曲<イェットの小川で>を取り上げる。

グリーグが用いた詩は9行×5節で、韻律構造はいづれの節もAABCCDDBEと整っている。各節は小川の流れを表す擬声語を含み、行の長さを変えながら進む。豊かなリズムがこの詩の特徴となっている。この場面では、失恋を経験した主人公の少女ヴェスレモイが小川のほとりで慰めを求める。読み手は、彼女が小川から受けた音と姿の印象と、それによって喚起される彼女の複雑な感情へと導かれる。

グリーグはこの詩に演奏有節形式を用いた。詩の韻律や意味内容との対応の仕方に注目すると、まず、詩の韻律や意味内容との対応の仕方に注目すると、まず、詩の韻律に対応したフレーズや音型の繰り返しに注意が引かれる。それによって詩のもつリズミカルな性格が保たれている。繰り返しは、しばしばピッチを変えて行われる。例えばこの曲において一貫性をもたらす要素となっている2度下行・3度下行の音型(グリーグ・モチーフ)に注目すると、ヴェスレモイが自己の内面に向かい始める第3節においては、歌唱旋律に現れるモチーフが半音階的に下行しながら出る。同時にピアノ・パートの旋律と和声も半音階的に下行する。第4節においては、モチーフは変形されて音域を広げた形で現れる。最終節においてはモチーフとモチーフとの間に2拍分が付加され、眠りゆくヴェスレモイの様子が表現される。

この曲に代表されるように、<丘の妖精>においては詩の韻律によるリズムと詩の意味内容との双方がグリーグの作曲法と密に結びつき、音楽に効果的に反映されている。それ以前の彼の歌曲と比較すると、ここでは詩とのより深い結びつきが実現している。言い換えれば、詩への作曲家のこれまで以上の関心の表れと解釈されよう。当時の民族主義の動向と無関係ではなさそうなこのような作風は注目される。本発表では触れなかったが、ノルウェー語のアクセントや句読点との結びつきや、ノルウェーの民俗音楽と共通する旋法、リズム、形式、その他の語法が見られるのも事実である。

しかし、民族主義との関連でグリーグを論じる場合には、非常に慎重にならなければならない。なぜならグリーグ自身は、作品における民族的な性格の表れを意識的な行為の結果ではないとする言葉を残しているからである。グリーグを民族主義との関連で論じる際には、作曲様式に加え、作曲家の意識と行動、受容の問題まで含まれるべきであろう。このような問題も含めて作品の意義について考察することが今後の課題である。

 

「生涯学習におけるオカリーナの役割」日・韓の発展の比較

加藤いつみ(名古屋市立大学)

16年ほど前からオカリーナの演奏・教材開発・指導に関わっているが、今日のオカリーナの普及は想像を超えるものがある。2000年の加藤の調査では、全国に529のオカリーナグループがあることを把握している。最近では関西方面で盛んになってきているところから、もっとたくさんのグループがあることが推測できる。

最近、韓国でもオカリーナが吹かれている。韓国のオカリーナのパイオニア、Park Bong Gyu氏(パク・ボン・ギュウ)の招きで5月と10月の2回訪韓した。2回の滞在中に企画された、演奏交流会、シンポジウムそしてPark氏からもらった情報、等を通して、韓国の学習のアウトラインを掴むことが出来た。今回は、2000年の調査で収集した加藤のデータと2005年の訪韓で得た資料を比較しながら、1.発展の違い並びに学習(者)の違い、2.生涯学習におけるオカリーナの役割について述べてみようか。

1.発展の違い並びに学習(者)の違い

日本では、紀行「大黄河」が放映された1986年頃から、宗次郎の音色の魅力に惹かれた熱烈なファンが生じた。一方韓国では、1988年のオリンピックの前夜祭に宗次郎がテレビを通して演奏し、聴衆に深い感銘を与えた。その後、Park氏は、大田で韓国初のオカリーナ専門学院を開いたり、音楽家を対象とした指導者養成を全国規模で行ったり、インターネット等のメディアを活用したり、積極的な普及活動を始めた。2001年頃からソウル、大田、大邱、木浦、光州、全州、釜山、京幾道、等広範囲に発展して行った。

学習(者)において、日・韓の違いは何であろうか。日本の場合は、「オカリーナの音色」が好きという動機で始めた人が70%以上を占める。しかも彼らは、子どもの頃何か楽器を習っていた、やっと自由な時間が持てるようになった中高年になって、まだ珍しいオカリーナの学習を始めている。一方、韓国においては、学習を始めたのは主として音楽を職業とする人々であり、彼らは習得した技術を活用させて学校、カルチャーセンター、デパートのオカリーナ教室の指導者として活路を見出している。彼らが指導をしているのは、大人よりも子どもの方が多い。つまり日本では、オカリーナは、自然発生的に中高年層に受け入れられ、発展して行ったのに対し、韓国では、まず指導者の養成が先にされ、技術を習得した者が子どもの指導にあたる、という過程を経て普及しているように見受けられる。

2.生涯学習におけるオカリーナの役割

最近の高齢者は、自分の心身の健康を意識して積極的に趣味の「学び」に関わっている。丸林美千代の「生涯音楽学習入門」によれば、自己の生きがいのために生涯学習を行っている人々は(68.8%)あるという。音楽もその一つで、鑑賞、楽器演奏、歌うことの順に好まれている。中でもオカリーナは、音色が優しく、技術の習得が容易で、持ち運びが簡単なところから、人々の楽しみとして愛され、社会的な活動に結びつき、生涯学習にふさわしい楽器としてみなされている。最近、演奏会のみならず、地域の行事、さまざまな席で楽しそうに演奏している姿をよく目にする。又、調査からわかったことであるが、最初のグループを辞めても、別なグループに入ったり、レベルの合う人とグループを作って練習を継続させている人が60%いる。これらのことからも、オカリーナは、生涯学習の目標である”みんなで””どこでも””いつでも””なんでも”の条件にぴったりあてはまる楽器の一つではなかろうか。今後、韓国の学習者の実態調査にも着手し、<生涯学習におけるオカリーナの役割>の研究を深めていきたいと考えている。

 

【調査報告】

船橋コレクション「Dhodro Banam」及びその他の弦楽器に関する調査報告

梅田 徹(浜松市楽器博物館)

本調査は、船橋楽器資料館(愛知県岩倉市)の所蔵品の中から、ネパールの首都カトマンズ、タメル地区で収集された123点の弦楽器を対象に行ったものである。船橋氏自身、購入時に楽器に関する情報を得ておらず、また日本においてこれらの楽器に関する調査・研究がほとんど行われていないことから、名古屋芸術大学音楽総合研究所が調査を行うことになった。

123点の楽器は、便宜上A群、B群、C群の3種の形状に分類することができる。A群とB群は、共にネックが短く本体中央に空洞(皮で覆われていない)を持った擦弦楽器である。しかし、A群の空洞は長方形であるのに対し、B群はアーチ型の形状である。C群は、A群やB群とは異なり、ネックが長く空洞(皮で覆われていない)はない。これらの楽器の共通の特徴として、一部を除きヘッド部に特徴的な人型または動物の彫刻が施されていること、一本の木材をくり抜いて作られていることなどが挙げられる。なお、それぞれの楽器台数の割合は、A群87点(70.7%)、B群13点(10.6%)、C群21点(17.1%)、その他2点(1.6%)である。

これらの楽器は、当初Sarangiとして調査を行っていたが、インド古典音楽で使われるSarangiとは形状が異なり、同種の楽器を見つけることができなかった。そのため、楽器の名称ではなく形状から調査を行った結果、A群はインドの先住民族サンタル族の楽器Dhodro Banamであることが明らかになった。サンタル族が居住するとされるインド・ビハール州はネパールとの国境に接しているが、ネパールで売買されていた楽器とサンタル族のつながりは残念ながら明らかには出来ていない。なおDhodro Banamは、空洞(Dhodro)の弦楽器(Banam)という意味である。民族音楽研究家プラサードは、Dhodro Banamの起源について以下のような伝説を報告をしている。

7人の兄と一番年の若い妹がおり、ある日最年長の兄が一番若い弟に命じ、妹を殺しその肉を兄弟で分け合った。しかし、その弟は妹を愛していたので、その肉を食べることができず、シロアリの巣の中に埋めた。その後、その場所に美しい木が生え、美しい花が咲いた。その花を摘みに来た者が、その場所から美しい旋律が流れているのに気付き、木を切り最初のDhodro Banamを作った。

この物語から推測されるように、Dhodro Banamは擬人化されており、ヘッド部の彫刻のモチーフをとっても73点(83.9%)が人型である。A群の楽器には、さまざまな種類があり、中には楽器自体が人型であるようなものもある。その他のA群についての分析、各楽器の紹介はここでは割愛するが、どれ一つとって見ても同じものがない。また、Dhodro Banamは、演奏者の正面に楽器を立てて演奏することにより、ヘッド部の彫刻は聴者に向けられる。そのことからも、彫刻に込められて意図を考察する必要なあると思われる。

B群の楽器は、Sarindaである可能性が高い。Sarindaはアーチ型の空洞が特徴で、アフガニスタンなどでは共鳴弦が付加されているものが一般的であるが、本調査で対象とした楽器には共鳴弦が見られない。なおB群はA群と異なり、ヘッド部、指板、胴が段差のないフラットな形状である。これは、A群とは異なり指板に弦を押し付けて演奏することを想定していると思われる。そのため、A群は指板に彫刻は施されているものがあるが、B群では一切指板に彫刻が施されていない。また、B群の彫刻は動物をモチーフにしたものが9点(62.2%)と多いのもA群との相違である。

C群に関しての情報はまだ明らかになっておらず、弦数、形状的観点から類似した楽器を現在調査中である。A群やB群と異なる形状であるが、彫刻などから見て同じ民族または近い地域の民族が演奏していたものではないかと思われる。

最後に、タメル地区がいかに観光地で民芸品などが集められているとはいえ、使い込まれたこれらの楽器が大量に販売されているのは、大変興味深いことである。今後は、データのさらなる分析、またインド・ネパール地域の人的交流などを調査し、楽器の伝播交流も視野に入れつつ調査を継続したいと思う。

 

【見学】

船橋楽器資料館

梅田 徹(浜松市楽器博物館)

浜松楽器資料館は、平成4年5月に開館した民間の楽器資料館である。所蔵品はすべて、館長の船橋靖和氏が国内外で収集したもので、約2000点の収蔵品の内、約1500点を常時展示している。資料館の2つの展示室には、さまざまな地域で収集された楽器が所狭しと並べられ、その数の多さに圧倒される。

船橋氏自身が津軽三味線奏者であるということもある、特に弦楽器が豊富であるが、その他にも瓢箪を共鳴器に使っているグァテマラの木琴「マリンバ・デ・テコマテス」などをはじめ、諸民族の特徴的な楽器が展示されている。

船橋氏の楽器コレクションの内、和楽器は比較的早い時期(昭和30年代)から収集されたため、歴史的にも大変貴重な楽器が数多く見られ、同館収蔵品の核と言えるであろう。海外諸民族の楽器は、昭和50年代から収集され始めたが、船橋氏は現在でも年に3〜4回海外フィールドワークに出かけるため、収蔵品はどれも程良く使い込まれ、これらの展示品を通し、”モノ”としての楽器の多様性だけでなく、それぞれの民族の誇り、智慧、歴史、さらには楽器に込められた思いを感じ取ることができる。音楽に携わる者だけでなく、多くの人々にとっての文化財として大変貴重なコレクションといえる。船橋氏は、フィールドワークのみならず、資料館内のコンサートを主催するなど、館内活動にも力を入れている。中でも、船橋氏による展示解説は同館の特徴の一つとして挙げられる。

12月10日に開催された、中部支部第85回例会終了後に同館の見学を行ったが、その際にも楽器に纏わる話から現地の生活など、さまざまな話を伺うことができた。来館の際には、館内のコーヒー・コーナーで、美味しいコーヒーをいただきながら船橋氏のフィールドワークの話に耳を傾けるのも船橋楽器資料館見学の際の楽しみの一つであろう。

船橋楽器資料館
〒482-0031
愛知県岩倉市八剱町石橋11
TEL:0587-37-5100
開館時間:10:00-17:00
休館日:毎週月曜日(祝日の場合翌日)
入館料:大人500円、大学生400円、中学・高校生300円、小学生200円 (団体割引あり20名以上)
交通:名鉄犬山線石仏駅より徒歩8分、名神高速小牧インター約10分 (資料館前に無料駐車場あり)


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