第84回例会報告
日時:2005年7月30日(土)14:00〜17:00
会場:愛知芸術文化センター アートスペースE/F室
【研究発表】
ショパンの作品におけるノクターン的要素:永津 香(愛知県立芸術大学)
シェーンベルクの初期歌曲にみる調性放棄の過程:荒尾岳児(三重大学)
【研究発表・レクチャー・コンサート】
中国古筝の流派:戴 e峰(金城学院大学)
【研究発表】
■発表要旨
ショパンの作品におけるノクターン的要素
フレデリックショパンは1827年から46年にかけて21曲のノクターンを書き、ノクターン史に金字塔を打ち建てたが、これまでのショパン研究においては、彼のポロネーズやマズルカを中心に民族的側面を指摘する傾向が強く、ノクターンに関する十分な研究はなされていない。本論は、ショパン作品におけるノクターンの再評価と新たな位置づけを図ることを目的とした。ノクターンには以下のような共通要素がある。(1)左手による分散和音の伴奏(2)右手による声楽的な旋律(3)高音域の使用(4)旋律への多様な装飾(5)ゆったりとしたテンポとテンポルバート(6)小さめの音量である。本論では以下6項目を、「ノクターン的要素」と定義し、ショパンの作品におけるノクターン的要素の確立、その発展と逸脱、さらにノクターン以外の作品への転用の過程を考察した。
ピアノ独奏のためのノクターンは、1812年にアイルランドの作曲家ジョンフィールドによって最初の作品が出版される。ショパンとフィールドの演奏スタイルや音楽的嗜好はよく似ており、フィールドの作品はショパンの創作意欲を大いにかきたてたことであろう。フィールドのノクターンは、ショパンのノクターン作曲への直接的な起因となっていることは明らかである。
ショパンの手により、ノクターンは穏やかな小品から芸術性の高い作品へと躍進を遂げ、ノクターン的要素は以下のように発展した。(1)は分散和音の音域広げ、ペダルによって和音保持する。また、単なる伴奏だけでなく、ときに旋律、ときに内声としての機能も併せ持つ。(2)はフィールドの牧歌的な旋律から洗練され、憂い、悲しみ、喜びなど、さまざまな感情を示すものになっている。(3)は特に装飾音において不協和な響きを軽減するために用い、フィールドより使用頻度が高い。(4)は装飾法の多彩さが特徴的である。22連符や48連符など細かい連符を使用したもの、旋律自体が自由に変化して旋律の原型をとどめていないもの、装飾音に代わり調性を変化させたもの、対位法的な書法を用いたもの、前打音、トリル、ターン、アルペジオなど伝統的な装飾法を複合的に使用したものなど、その無尽蔵に繰り広げられる装飾は、もはや旋律に従属するものではなく、装飾の変化自体が音楽の推進力となっている。(5)は急速なテンポの中間部分を置くことで、前後のゆったりとしたテンポの部分と大きなコントラストを生んでいる。テンポルバートは、ショパンのノクターンに顕著な特徴であり、細かい装飾音、コーダに置かれたカデンツァ、フレーズの終わりなどで、テンポが揺らいだり、拍節が一時的に停止したりすることで、音楽の息遣いや緊張感を効果的に演出している。(6)はときにpppも使用し、sotto voceやdolcissimoといった静けさを想起させる細やかな指示が際立つ。一方で、アクセントやfz、ffなどもしばしば現れ、強弱の幅は拡大されている。以上のようなノクターン的要素の発展は、ショパンのノクターン創作初期において既に現れる。それらは、より華麗に、より外向的性格に向かう傾向を持っていたが、1836年頃からは、華麗さよりもシンプルで洗練された旋律を好み、全体に内向的な性格が色濃くなる。また隅々の作品が、それぞれ別の方向性と趣を持っており、より多様な表現をノクターンで行っている。
ショパンのノクターン以外の作品におけるノクターン的要素の使用は、ノクターン創作を始める以前の2曲のピアノ協奏曲において、すでに現れている。特に各曲の緩徐楽章は、ノクターンにオーケストラ伴奏がついたような構成になっており、ノクターン創作以前にノクターン的要素が芽生えていたことがうかがえる。ピアノ協奏曲の創作過程で得た経験とそこで用いたノクターン的要素は、フィールドが創始したピアノ独奏用の小品であるノクターンに持ち込まれ大きく開花し、ショパン独自のものとして様式化され、更なる発展を遂げたのである。
ノクターンが発展すると共に、初期特有の華麗さと外向的な性格は、ノクターンにおいて次第に影を潜めるが、それらはノクターン以外の作品に転用されることで、新たな意味を持つようになる。舞曲に由来しないピアノ独奏曲で、比較的規模の大きい作品においては、しばしばノクターン的要素が作品の一部として使用され、重要な役割を果たしている。即興曲、スケルツォなどでは、急速な外郭部分とコントラストを成す穏やかな中間部分として、変奏曲やバラードでは、繰り返し現れる主題を変奏するためにノクターン的要素が使用されている。それらは、作品全体で欠くことのできない魅力となっている。
ショパンのノクターンは、単にフィールドのノクターンを倣った作品ではなく、フィールドの築いた礎に、ショパンの独自の手法を加えることで表現の幅を格段に広げた。さらに、その構成要素は他のジャンルへの転用されることで、新たな効果と役割を果たしていった。
シェーンベルクの初期歌曲にみる調性放棄の過程
アルノルトシェーンベルクArnold Schoenberug(1874〜1951)は、20世紀初頭に「無調」による作曲を開始した作曲家の一人として位置づけられる。「無調」とは当然「調性」が「無い」ことを謂うのであるが、ここで「無い」とされる「調性」は、バロック期からロマン派の時代にかけて発展を見た、機能和声的による長/短調に限定されておらず、旋法的なそれをも含んでいる。即ち、「支配力」を持つ中心音(主音)が軸として存在するような、音程の関係性のシステム全般を欠いたものとして、「無調」は考えられるべきであろう。
ところで、そのような音楽、つまりある音の意味が旋律ないし和音の中で、中心音との関連において考えられないような音楽は、彼以前には存在しなかったのではないだろうか。(もちろん時代が下がるにつれ、例えばヴァーグナーRichard Wagnerなどにより調性は複雑化、曖昧化してはいくのだが)音程を持つ音は必ず何らかの調の文脈において、あるものはその構成音として、あるものはそこから逸脱する動きとして存在するのであり、いずれにせよ調性システムを前提として存在するほかなかったはずである。そのようなシステムを持たない無調へと、シェーンベルクがいかにして到達したのかを改めて詳しく検討しようというのが筆者の目的であるが、ここではその材料として、初期のピアノ伴奏による歌曲を取りあげ、主として和声学的な見地から考えてみようと思う。
シェーンベルクが初めて無調によって作曲した作品は、作品15の歌曲集『架空庭園の書』と作品11の『3つのピアノ曲』であるとされており、それまでに彼が発表したピアノ伴奏歌曲は24曲あり、6集に分かれている。これらは間に作品7の弦楽四重奏曲第1番や作品9の室内交響曲第1番といった、重要な転換点を形成する作品を挟んで、大きく二つの時期に分ける事ができる。前期にあたるのは作品1、2、3、6の4集に収められた20曲であり、後期には作品12、14の4曲が属する。
これらを検討していく際に、彼の和声的思考を直戴に示している理論的著作「和声の構造的機能(Structural Functions of Harmony, Williams and Norgate Ltd.,London,1954)」を大いに参照した。この書の冒頭において彼は、和声の連結を大きく次の二つに区別している。即ち、カデンツ(和声終止形)に関わるy「和声進行」progressionと、カデンツの文脈から自由な連結である「和音連鎖」successionである。前者は明確な調性的ゴールを指向し、調の確立や転調に際して重要な役割を持つ。一方後者は、非機能的でゴールを持たず、調的な求心力を欠いている。
彼自身の歌曲をこれに立脚して見て行くと、調性の曖昧化の契機はprogressionとsuccessionの両方において認めることができる。個々の具体的な手法をカテゴライズすると、次の三つにグループ化することができる。
倚和音、経過和音 これは「トリスタン和音」のような、それ自体としては調的解釈が困難であるが、何らかの調的に明確な和音へと解決する動きに含まれる調和音である。作品2-1、2-2、6-7のそれぞれ冒頭に好例がある。特に2-1の倚和音は四度堆積和音の使用の先駆的な例でもある。
音程のシンメトリー 減七和音、増三和音、全音音階のようにオクターブを等間隔に分ける音程で構成される響きはそれ自体調的に多義的である。作品3-1の中間部に頻出する変位音を伴う続七和音は、その構成音がすべて全音音階に含まれる事により調的な曖昧さを強く示唆する(とはいえ何らかの調の属和音として機能していることは明白であるが)。
漂動和声(roving harmony)successionにおいて調的領域を次から次へと移動し、いかなる調の確立をも妨げるような和声の動きを、彼は特に「漂動和声」と名付けた。作品1-2や6-4などに、この性質が顕著なsuccessionが見られる。
ここまでに挙げた例は皆シェーンベルクの調性前期にあたる作品であるが、調性後期に入ると、四度堆積和音の使用が増え、調性的な解釈も一層困難になってくる。これらの作品は『架空庭園の書』の直前の段階でもあり、これへの連続性を見るには、また違った角度からアプローチすることが必要ぶばってくると思われる、との水野みか子氏(名古屋市立大学)の指摘もあり、視野を広げつつ継続して以降も考察してみたい。
【研究発表・レクチャー・コンサート】
中国古筝の流派
音楽は文化を理解する最適な手段の一つであり、楽器は人類の歴史と文化の伝播の研究に不可欠の「資料」である。本発表は中国の楽器である古筝を通して、中国音楽の特性を考え、更には中国文化や社会への理解深めることを目的としている。
古筝は春秋戦国時代に奏の国で発祥し、前漢の時代に山東、後漢の時代に河南へ、そして始皇帝が中国を統一した後、広東の潮州に伝わり、唐宗時代か東晋時代に長江下流に伝わった。また、4世紀の初めから12世紀の初めにかけて、客家の南方移住によって広東の南東部と西南の山間部にも伝わった。古筝は、それぞれの地域で伝承され、長い年月をかけてその地域の民間音楽、地方劇、曲芸などと融合し、更に言語や風土に影響されて、異なったさまざまな流派を形成し、成長してきたのである。
本発表はまず古筝という楽器を紹介し、そして各流派のルートおよび古筝とその地域の音楽や曲芸などとのかかわりを明らかにした。最後に各流派の名曲の実演を通して、中国の音楽および中国文化の「多様性」と「統一性」を指摘した。
古筝は<五音音階>に配列する伝統的な筝である。5弦の撥弦楽器として生まれ、漢代には12弦に、随、唐時代では13弦に発展し、明代には14弦と15弦のものが生まれ、近代以降は16弦、現在は主に21弦のものが使われている。
弦の材質は絹、金属、ナイロンの段階を経て、現在は主に金属の上にナイロンを巻いたものが使われている。爪も人の爪から竹の仮爪、現在は主に?甲の仮爪が用いられる。
現代古筝の音域は四オクターブあり、依然として弦は<五音音階>で配列する。
中国では山東筝派、河南筝派、潮州筝派、客家筝派、浙江筝派の五つは「五大筝派」と呼ばれている。
中国では広い地域において<八板>という民間音楽の構造形式がある。これは8つのフレーズがあり、1つのフレーズに8板、第5フレーズにのみ12板、全部で68板となる。山東筝曲の多くはこの<八板>から進展変化してきた。また、山東筝曲は合奏曲の<?八板>形式や語り音楽の<山東琴書>からも多くの栄養分を取り入れた。<劈>と<托>の連続快速演奏や<上滑音>の大量使用は山東筝派における一大特色である。
河南筝曲は河南地域の民間音楽の<鼓子曲>の中の<板頭曲>から発展したものが多く、民間の曲芸から変化してきた歴史上の人物を表現するために最も多く使われる技法は<遊揺>である。
潮州筝曲はほとんど<五音音階>で弦を配列するが、左手で<重六調>、<軽六調>、<活五調>、<反線調>、<軽三重六調>など5つの複雑な音階を作り出す。シとファを多く使用するが、実際の音高は、これと微妙に異なる。
例えば、<重六調>のシは12平均率のシと♭シの間、ファは平均率のファと♯ファの間になる。これによって、潮州筝曲の独特な味を出すのである。この絶妙な手法がなければ、潮州筝曲は存在しない。音階のほかに、<点音>の使用も潮州筝曲の独特な技法である。潮州筝曲における音階の複雑な変化は潮州の言葉にも関係すると言われている。また、潮州筝曲は<潮州音楽>、<潮州細楽>、<潮劇>などの民間音楽から影響を受け、今日の一大流派として成長してきた。
浙江筝曲は、<外注弦>、<鑼鼓吹>、<和弦索>などの客家音楽から独立したものであり、歴代の伝承者によって発展され、今日の客家筝派となった。客家筝曲の<大調>曲は、68板となっており、河南<板頭曲>の板数と一致する。しかし、音韻に関しては南の優雅で堂々とした曲が多い。ほかにも<小調>と<串調>があり、<串調>が戯劇性が強く、河南筝曲と多くの共通点を持っている。客家の筝曲はまさに「北方文化」と「南方文化」の融合である。
浙江筝曲は主に伝統の<弦索十三套曲><江南絲竹><杭州灘黄>の三つから発展してきた。1814年に編集された『弦索十三套曲』に、すでに「両手抓筝」という表現が使われ、両手で旋律を演奏することは浙江筝派から始まったのである。<江南絲竹>は繊細、優雅、華麗などの特徴を有し、<杭州灘黄>のなかの<烈板>(激しいリズム)の古筝伴奏は、のち浙江筝派における有名な<快四点>技法の誕生契機となった。
浙江筝派の伝承者たちは琵琶、三弦、揚琴、さらに多くの西洋楽器の演奏法から学び、それを浙江筝派の演奏に取り入れ、浙江筝派の表現力を豊かにさせた。浙江筝派は「後起之秀」と呼ばれる一大流派として成長した。浙江筝派の演奏における最大の特徴は右手の<揺指>(親指でトレモロを演奏)、<快四点>、<点指>(両手の人差し指での快速演奏)である。
一つの楽器だけでもこのように非常に豊富な内容がある。中国文化の「多様性」は古筝の流派や演奏を通して理解していただけたではないかと思う。また、中国文化は始皇帝の時代から常に「中央集権」という政治体質に影響され、どのような時代においても、その「統一性」を見る事ができる。それこそ、中国文化の特質である。これを常に念頭に置かなければ、中国文化を語る事ができないし、中国社会や文化への理解も不可能であろう。
演奏曲:
1.「漢宮秋月」(山東筝曲)張為昭伝播、高自成改編
2.「陳杏元和播」(河南筝曲)曹東扶伝播
3.「寒鴉戯水」(潮州筝曲)郭鷹伝播
4.「出水蓮」(客家筝曲)羅九香伝播
5.「戦台風」(現代筝曲)王昌元作曲