第75回例会報告
日時:2003年3月15日(土)13:30〜17:00
会場:名古屋市立大学芸術工学部 M101教室、音響デザイン室
【第一部 卒業論文・修士論文発表】
石川県輪島市名舟町に伝わる御陣乗太鼓:山田彩子(名古屋芸術大学)
沖縄民謡における発声・発音・節まわし、およびその指導法についての研究:丹羽亜希子(愛知教育大学大学院)
フランスのフォルマシオン・ミュジカルについて―フランスにおける現状を考察する:西川陽子(名古屋音楽大学院)
歌詞と曲のイメージを中心とした聴取プロセス―音楽経験による相違―:山本紀子(静岡大学大学院)
ブラームスの<ドイツ・レクイエム>―テクスト作成と音楽―:四元俊江(愛知県立芸術大学院)
【第二部 対談と演奏】
現代音楽を楽しく聴くために
出演:
江村哲二(関東支部、作曲家、金城学院大学)
板倉康明(クラリネット奏者・指揮者、東京芸術大学・フェリス女学院大学講師)
【卒業論文・修士論文発表】
■発表要旨
石川県輪島市名舟町に伝わる御陣乗太鼓
石川県輪島市名舟町の御陣乗太鼓の歴史は、今から約430年前に遡る。当時、越後国の大名上杉謙信が能登国を攻略した時、名舟村民は村を守るために、仮装し太鼓を叩いて上杉勢に立ち向かい、その結果勝利を得た。これを記念して、この太鼓を打つ姿を御陣乗太鼓(神を敬う太鼓の意)と呼ぶようになった。太鼓上演は、以後名舟において受け継がれ、今日では輪島市の観光産業にも大きく貢献している。本研究は、御陣乗太鼓と観光産業との関係に焦点を当てたものである。
御陣乗太鼓は、昭和38年の石川県無形文化財指定後、人々の注目を集め、さらに昭和40年頃から全国的に巻き起こった観光ブームの波に乗り、観光客を集めるためのアトラクションとして利用されるようになっていった。その結果、世の中に広く知られるようになったのだが、本来は伝統芸能であったものが観光名物のひとつとなり、観光芸術になってしまったことに対して、反論がないわけではない。とはいうものの、ひとつの芸能が伝承されていくためには、観光に頼らなければならない場合も多く、今日、観光は伝統芸能が生き延びるためのひとつの新しい「場」と考えざるを得ないようである。
なお、伝統芸能の今後の研究のために一言添えておきたいことがある。日本の伝統芸能に関する資料の整理状況は様々である。丹念に整理されている場合もあれば、断片的な資料が未整理のままという場合も多い。御陣乗太鼓は比較的よく知られている伝統芸能であるにもかかわらず、まさに後者の一例であり、筆者はあまりの資料の少なさに驚いた。そこで昭和41年から平成14年までの36年間の新聞記事を収集し、その内容に基づいて卒論がようやく完成したという次第である。一見よく知られているかのように思われる芸能でも、現実にはまだ明らかにされていない部分も多く、資料のさらなる調査およびその資料整理が望まれるところである。
名古屋フランスのフォルマシオン・ミュジカルについて−フランスにおける現状を考察する
ソルフェージュは音楽教育において、基礎的な知識を身につけるための重要な要素のひとつである。現在、私もそのソルフェージュ教育を模索しながら行なっているが、聴音や譜読みといった科目としてのソルフェージュはよくできるものの、実際の演奏表現においてそれらを生かせないでいることが多い。本来、音楽の様々な要素を理解し表現を追及していくはずの基礎教育が、断片的な科目として捉えられ、ひたすら複雑で高度な技術のみを習得していこうとする傾向が強いためではないかと感じている。音楽の理解へと結びついていく教育とはどのようなものなのか、その手がかりを得たいと考え本研究テーマに取り組んだ。
フランスは、基礎教育の重要性を早くから感じ熱心な取り組みを行なっているが、1978年に、それまでの項目ごとに分けた複雑で技術的なソルフェージュ教育を見直し、名称もフォルマシオン・ミュジカルと改め、音楽の理解へと結びつく教育を目指して改革したのであった。このフォルマシオン・ミュジカルとはどのようなものなのか、日本と異なるフランスの教育制度や、以前に行なわれていたソルフェージュ教育、その教育を見直すにあたった経緯などといった背景をふまえた上で、創始者であるオデット・ガルテンローブ女史の教育原理や文化省発行のカリキュラム、市販教材から内容を把握していった。
そして、改革から約25年経った現在、実際にこの教育原理やカリキュラムはどう捉えられ行なわれているのかを、文化省管轄のコンセルヴァトワールへのアンケート結果やパリ15区にあるコンセルヴァトワール・ショパンにおける授業見学、取り組みに関わるディレクターやフォルマシオン・ミュジカル専門の教授、雑誌編集者、日本人留学生などからの聞きとり調査によって明らかにしようとしたものである。
ブラームスの<ドイツ・レクイエム>―テクスト作成と音楽―
この論文は、ブラームスが行ったテクスト作成とテクストから導かれる音楽を考察することによって、≪ドイツ・レクイエム≫のテクスト作成におけるブラームスの独自性とテクストと音楽の対応関係を明らかにする事を目的としている。
≪ドイツ・レクイエム≫はカトリックのレクイエムと楽曲構成においては共通する面もあるが、根本的な部分で異なった内容を持っており、一般的なレクイエムの最大の目的である、「死者の魂を慰める」ことに主眼が置かれるというよりも、残された生者へ指針を与えるような内容になっている。例えば「慰め」、「喜び」、「希望」、「努力の報われ」といった言葉に焦点があてられ、それらの言葉が全楽章を通して頻繁に用いられている。楽章が進むにつれて、神への確信と共に「慰め」や「喜び」など、「幸せ」への確信が強められて行く。その一方で、レクイエムにあるべき「神の裁き」や人間の罪の許しのために払われたキリストの犠牲についてのテクストは避けられている。また、聖書の中でテクストとして選び出された部分の前後の聖句に注目したとき、前後の聖句を省略することによって、キリスト教の教義が弱められ、さらに、聖書の中で示されている意味とは異なったテクストに変えられてしまっている場合もあることが明らかとなった。
音楽においては、テクストの内容に即して楽想に変化が与えられており、さらに調性やテンポ、拍子、強弱、楽器の用い方など、様々な要素を駆使して、テクストの内容の変化に即した音楽付けがなされている。そのためテクストには、より豊かな表現力がもたらされた。そして、テクスト作成において焦点があてられた言葉は、何度も反復することによって強調され、「幸せ」への確信をうちたてている。また、ブラームスは、反復を行うときにフーガや模倣などの技法を凝らしており、このことによって、言葉に、より強い印象が与えられ、聴衆に訴えかける力を増幅させている。
*なお、丹羽亜希子、山本紀子両氏の発表要旨は、日本音楽教育学会の関連印刷物に掲載されます。
【対談と演奏】
現代音楽を楽しく聴くために
専門的に音楽を学んでいる方でも、現代曲となるとなかなか馴染めないという方がいらっしゃいます。また、それらをどのように教育現場に持ち込んでいったらいいのかわからない、という声も聞きます。
それにはまず、とにかくいろんな作品をたくさん聴いて、それらに親しんでいくことが最も近い道のように感じますが、それらをうまく導入するには、なんらかの工夫が必要であることもまた確かであるように思います。
そのためには、作品を音楽史的に聴いてみるとか、何らかのあるテーマを設けて作品を聴いていくことがあげられますが、特に20世紀は演奏家と作曲家の専門性が進み、その分業化が進んだ世紀でもあります。
それはお互いが切磋琢磨し合い、お互いに影響を及ぼしあうことにつながりました。それらを念頭に置いて作品を聴きながら、作曲家達と演奏家達がいかに新しい技法を開拓してきたかを考えてみるのも面白いと思います。
今回は作曲家と演奏家との対談でもありますから、作品を書くときに作曲家は演奏家をどのようにとらえているか、一方演奏家はある作曲家ないし作品と対峙したとき、どのようなことを考えるのか、そんな観点からお話を進めたいと思います。 今回板倉さんはいくつかのクラリネットの独奏曲を演奏して頂けますが、板倉さんはクラリネット奏者としてだけでなく、すばらしい指揮者でもあり、そして東京シンフォニエッタを主宰しているプロデューサーでもあります。
コンサートを開催するときは必ずそこに何らかのテーマを設けるわけですが、テーマやそのプログラムを組むとき、主宰者としていつもどんなことを考えていらっしゃっているのか、そんなこともお話していただこうと思います。
演奏:板倉康明(クラリネット)
曲目:ストラヴィンスキ-/三つの小品(1919)
メシアン/鳥たちの深淵(1940)
ブーレーズ/ドメーヌ(1968)
江村哲二/インテクステリア第2番(1991/95)
報告
日本音楽教育学会東海地区と日本音楽学会中部支部による合同例会の後半は、作曲家の江村哲二氏とクラリネット奏者の板倉康明氏による対談と演奏の時間となった。タイトルは「現代音楽を楽しく聴くために」。江村氏と板倉氏は、数年にわたって作曲家とその作品の初演者という関係で交流を深め、その間に音楽にまつわる広範な議論を交わしたという。そうした深い音楽的交流で発見されたもののなかから、今回の対談では、20世紀以降に作曲された作品に関していくつもの示唆深い話題と問題提起がなされた。
演奏された作品は、江村氏御自身の作品も含めて、どれも時代を代表する重要なものばかりであり、それぞれに現代的問題を包摂していることがお二人のトークで明らかになる。たとえば、クラリネットという楽器とその奏法の進展の問題、芸術家と政治的問題の関わり、セリーや不確定性といった作曲書法の問題、作曲家の主眼点と演奏家の着眼の差異、時代全般の変化の速度と音楽の速さの関わり、10代の若い世代とのフィーリングの共有方法、などがキーワードとなり、それについて作曲家、演奏者、それぞれの立場からの意見が熱く交わされ、フロアの側も、次第に音楽家の深い世界へと誘われていった。トーク後には、多くの質問がフロアから出され、時間を延長して議論された。(文責:水野みか子)