第73回例会報告


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日時:2002年9月28日(土)13:20〜17:00
会場:名古屋芸術大学

【報告】

研究発表
    小澤優子:モーツァルトのロンド・フィナーレ─1784年以後のロンド形式の変質─

報告
    水野みか子:近年のメディア芸術国際大会における<音楽作品>の形態について

講演
    薛羅軍:現代社会のなかの少数民族の芸術ー中国トン族の事例からー

 

【研究発表】

モーツァルトのロンド・フィナーレ──1784年以後のロンド形式の変質
  

小澤優子(名古屋音楽大学)

モーツァルトは180曲以上に及ぶソナタ楽曲の約半分の95曲でロンド・フィナーレを採用している。それら一連のロンド・フィナーレを形式的側面、様式的側面から見ると、1764年から1773年、1774年から1783年、1784年から1791年、という3つの段階に分けることができる。
 まず、1764年から1773年の第1段階のロンド・フィナーレ19曲は、リフレイン3つとクープレ2つから成るロンド形式(ABACAやABABA)、連鎖型ロンド(ABACADAなど)、シンメトリックなソナタ・ロンド(ABACABA)による形態を取るが、いずれの場合も、主題として機能しているリフレインと旋律的な自立性を持たないクープレが各々全終止や半終止で完結しながら交互に現れ、分節的で並列的な構造を示している。

第2段階の1774年から1783年は、ロンド流行の時期にあたり、モーツァルトのロンド・フィナーレの数も増えて39曲となる。また、用いられるロンド形式の種類も多様になり、リフレイン3つとクープレ2つによるロンド形式、連鎖型ロンド、第1クープレBが主調で再現された連鎖型ロンド、ソナタ形式の3部分構造を内包したシンメトリックなソナタ・ロンド(ABACABA)、その変形(ABACBA)の6つのタイプが認められる。

この第2段階のロンド・フィナーレにはいくつかの傾向が見られるが、その1つとしてあげられるのがロンド形式の変質のきざしである。39曲の中の1部のロンド・フィナーレで起こっているロンド形式の変質のきざしは、第1クープレBと第2クープレCが完全終止で終わらず、主調への推移を経てなめらかにリフレインへと移行していること、第1クープレBが主調から属調へと徐々に至り第2主題を形成していること、第2クープレCや第3クープレDが時として主題の展開をおこなっていること、の3点においてうかがうことができる。すなわち、ロンド形式の分節的な構造が弱められ、かつ、ソナタ形式の提示部、展開部の書法が浸透することによって、ロンド形式の変質が促されている。

ロンド形式の変質が決定的になるのは、第3段階の1784年から1791年である。この時期のロンドフィナーレは36曲を数え、そのうち12曲がシンメトリックなソナタ・ロンド(ABACABA)、16曲がその変形(ABACBA)となっている。これらソナタ形式の3部分構造を内包したソナタ・ロンドがロンド・フィナーレの主流になるとともに、ソナタ・ロンドにおけるロンド形式の姿も著しく変質していく。その変質は、次の5つの要因によって引き起こされている。

1. 第1クープレBと第2クープレCが主調への推移を経てなめらかにリフレインへ移行す るだけでなく、第2リフレインAも途中から転調を始め、途切れることなく第2クープ レCへ流れ込んでいる。第2リフレインAが流動的な性格を帯びることによって、再現 部に至るまでのリフレインとクープレは連続的に結び付けられている。
2. 第1クープレBがますますソナタ形式の提示部の構造に近づき、調性的なダイナミズム と主題性を獲得している。
3. 2クープレCの広範囲に渡って、主題労作による緊密な展開がおこなわれている。展 開部の規模と内容を充実させた第2クープレCは緊張感や高揚感を持続させ、再現部の 登場を印象的なものにしている。
4. 第1リフレインAの素材が第1クープレBや第2クープレCでも活用され、そのため楽 章全体は強い統一感で結ばれている。
5. 第2クープレC以降、リフレインの機能が後退し、代わりに第1クープレBの素材が重 要性を高め新しい流れを形成している。リフレインが柱となっている従来のロンド形式感は失われていることになる。

 以上の5つの要因をどの程度含むのかは個々のロンド・フィナーレによって違ってくるが、3つ以上の要因を含み、堅固な構成力やダイナミックな流れを持ったロンド形式へと大きく変貌しているロンド・フィナーレは次の12曲である。ピアノ協奏曲K.459、K.466、K.467、K.488、K.595、ピアノ三重奏曲K.502、ピアノ四重奏曲K.478、K.493、弦楽四重奏曲K.614、弦楽五重奏曲K.515、K.516、ピアノ・ソナタK.497。これら12曲の場合、第1楽章も提示部の推移や展開部でダイナミックな推進力を発揮している。したがって、第1楽章がソナタ形式の構成力を成熟させている時、ロンド・フィナーレもそれに応じてロンド形式の本質から離れ、第1楽章に匹敵するほどの充実した構造と音楽的性格を備えていることになる。

ソナタ楽曲の終楽章の重要性が完全に高まるのは19世紀に入ってからであるが、1784年以後のモーツァルトのロンド・フィナーレにおいて、ソナタ楽曲の終楽章が明るく軽い単純な楽章から第1楽章に並ぶ重要性を帯びた楽章へと変化していく様子を見ることができるのではないかと考えられる。

 

【報告】

近年のメディア芸術国際大会における<音楽作品>の形態について

水野みか子(名古屋市立大学)

コンピュータ・ミュージックの技術開発においては1980年代後半から国際的に議論される大きなテーマとなった。舞台で上演される芸術としての音楽におけるInteractivityは、技術的には、演奏する人間の身体情報と音楽情報(音高、音色など)との置換を目指し、「新楽器」という形で提示された。 STEIMのThe HandsやBigEyeはその代表である。 上演を離れた場面では、作曲レベルの interactivityを保証する音楽記述言語としてのMAXや音響作成のC-soundのように、ユーザーによる非音楽的動作とその結果として導かれる音楽的要素との間のも追求された。

今日ではは、技術上では、概してセンサーの開発とインターフェイスの性能という二つの方向で探究されている。しかしながら、上演とそれ以外との両場面で生じているについて、音楽的/美学的意味の議論はあまり進んでいない。

音楽学がこれまで行ってきた方法との接点を得ることのできる視点として、作曲-演奏-聴取の連鎖を基盤にしていた音楽表現がインタラクティヴな技術によってどのように変化するか、音楽作品の形態が、上演・非上演の両面においてどのように変化するか、などが提案できる。ここでは後者の問題を考えるために、二つのメディア芸術国際大会の事例を報告する。

1. Ars Electronica

1979年以来オーストリア・リンツで毎年9月に行われる電子芸術フェスティヴァルで、毎年デジタル芸術に関するテーマが設定される。近年のテーマは、1999年の、2000年のなど、血液や遺伝子など、動作レヴェルを越えた身体情報を芸術に投影する「バイオロジー系」のテーマが目立ち、大会は身体による表現の拡張技術展示の色彩が濃かったが、2001年の、2002年のはむしろ、芸術としての展開、過去の歴史や伝統との比較なども反省的に取り入れられ、現状でのテクノロジーをどのように芸術にしていくかという方向に焦点が移っている。2001年は、産業と芸術、アート・インダストリーを考える企画が目立ち、コンピュータ・ゲームも重要テーマとなった。2002年には、デジタル音楽の審査員たちは、近年ますます多様化する音楽部門での参加の仕方(インスタレーション、展覧会場で提示される音響、ビデオに伴う音楽、インターネット、クラブでの音楽、など)を指摘し、クラシック、コンテンポラリー、ポップ、フォーク、アヴァンギャルドなどのジャンルを越えて競いあうためにカテゴリーの書き換えが常に必要であるというコメントを出している。  Ars Electronicaでは過去に、藤幡正樹、竹村真一、岩井俊雄+坂本龍一のコラボレーションなどが最高賞に入賞しているが、音楽部門では2001、2002年連続でゴールデン・ニカは日本人が獲得した。2001年の池田亮司(ダムタイプの音楽担当)、2002年の刀根康尚(USAとして出品、フルクサスメンバーとしてオノ・ヨーコらと活動)である。  Ars Electronicaのデジタル音楽部門は、当事者以外からも、1987?2002年の歴史の中でジャンルを大きく変えてきていることが指摘されている。確かに、過去のデジタル音楽部門ゴールデン・ニカを列挙すれば、ピーター・ガブリエル、ジャン・クロード=リセ、デニス・スモーレイ、カイヤ・サーリアホ、アレサンドロ・ヴィニャオ、ベルナール・パルメジャーニ、トレヴァー・ヴィシャール、ロベルト・ノルマンド、マット・ヘッカート、シモーネ・シモンズ、クリス・カニングハム、カールストン・ニコライ、イケダ、トネらであり、IRCAM系の室内アンサンブルを基本とするコンピュータ音楽から、ノイズやテクノへと変わりつつあることは否めない。

2. ISEA  (The Inter-Society for the Electronic Arts)

1988年にオランダのユトレヒトで開催された「第1回国際エレクトロニックアート・シンポジウム(FISEA)」がきっかけとなって始まった電子芸術国際会議で、2002年には第11回が、アジアで初めての大会として名古屋で催された。  10回記念となったISEA2000では、音楽部門としてIrcamやCERPS(ピエール・シェフェール教育研究センター)なども参加し、舞台上演される<ライヴ・エレクトロニクス>の作品(主にIRCAMが担当するセクション)が、それまでのISEAとは異なる趣を付け加えたが、数としては、テープによる電子音響音楽作品(各作品5分程度で区切って)が圧倒的に多い。また、Ircamの参加も、特ににテーマを振り向けての議論や作品を主体とし、「音響音楽共同研究所=IRCAM」の新しい方向性をアピールした。

ISEA2002名古屋(2002.10.27〜10.31名古屋市/ISEA2002実行委員会主催)のコンサート部門は、パフォーマンス(cf.コンサート)あるいは空間をたちあげていくインプロビゼーションを中心とする作品による第一夜と、舞台上演を基本コンセプトとする作品(テープ作品、マルチメディア作品を含む)を中心とする第二夜で構成された。

 

【講演】

現代社会のなかの少数民族の芸術ー中国トン族の事例からー

薛羅軍(大阪大学文学部客員研究員)

トン族琵琶歌は、トン族民衆の知恵と創造の結晶であるのみならず、同時にトン族民衆が享受し利用できる賜物です。湖南省、貴州省、広西壮族自治区の境界地区に住むトン族人民の旧社会は、社会発展が不安定なうえ、交通は不便で経済も遅れていましたので、先進的な文化生活はごくまれにしかみられませんでした。精神生活の需要を満たすため、トン族人民は生産と生活の実践の中から人民の娯楽となるトン族琵琶歌を生み出し、トン族琵琶歌を歌うことによって自己娯楽の目的を果たしました。現在、トン族地区の交通は多いに発展し、テレビも珍しいものではなくなりましたが、トン族人民は相変わらず自分たちの伝統であるトン族琵琶歌を愛好しています。トン族琵琶歌は特定の状況下で比較的厳粛な内容を含むものを除くと、一般に、おおらかで楽しく、精神を調節する働きをもっています。若者たちは、一日の重い労働の終わりに琵琶歌を弾き語ることで、相手に対する愛慕の情を表現し、老齢の琵琶歌手は、若い世代の人たちのために、活気に満ちたおもしろい物語りを語ってきかせます。四方山話しから教訓や生活の知恵をこめた寓話まで、すべて歌に託しているのです。

トン族地域では民歌の口承が広く行われています。文字のなかった時代には、民歌は伝統的な文化を記憶し、保存する働きをしていました。口承のトン族琵琶歌は外来語に頼ることが少なく、トン族人の生活を自然に表現できるので、教育と娯楽という両方の働きをしてきました。トン族の人にとっては親しみやすい文芸形式の一つです。内容がすでに時代遅れになっている琵琶歌も存在しますが、社会環境と生活様式がほとんど変わっていないため、口承の方法は伝統文化の伝承ばかりではなく、新しい生活の描写も、大きな役割を果しています。トン族琵琶歌はこれからもこのような機能をもち続けるでしょう。

トン族は文字をもたない民族ですから、その民族文化を伝承し、次世代を教育 してゆくという問題は、主に口承によって行われてきました。その方法をよく見てみますと、歌唱手段を用いたほうが言語手段を用いるよりもはるかに印象的であり、音楽形式の教授学習を通して行われる教育は、青年にとっても最適の手段であると思われます。このためトン族の琵琶演奏家兼歌手たちは、よく人生哲学や処世訓を題材にして琵琶歌を作り、青年が青春を大切にし、生活を愛し、熱心に労働するように教育的内容を歌いあげています。この種の伝統文化の継承方法は、ずいぶん古くからとられてきました。

トン族琵琶歌は、トン族民衆の知恵と創造の結晶であるのみならず、同時にト ン族民衆が享受し利用できる賜物です。湖南省、貴州省、広西壮族自治区の境界地区に住むトン族人民の旧社会は、社会発展が不安定なうえ、交通は不便で経済も遅れていましたので、先進的な文化生活はごくまれにしかみられませんでした。精神生活の需要を満たすため、トン族人民は生産と生活の実践の中から人民の娯楽となるトン族琵琶歌を生み出し、トン族琵琶歌を歌うことによって自己娯楽の目的を果たしました。現在、トン族地区の交通は多いに発展し、テレビも珍しいものではなくなりましたが、トン族人民は相変わらず自分たちの伝統であるトン族琵琶歌を愛好しています。トン族琵琶歌は特定の状況下で比較的厳粛な内容を含むものを除くと、一般に、おおらかで楽しく、精神を調節する働きをもっています。若者たちは、一日の重い労働の終わりに琵琶歌を弾き語ることで、相手に対する愛慕の情を表現し、老齢の琵琶歌手は、若い世代の人たちのために、活気に満ちたおもしろい物語りを語ってきかせます。四方山話しから教訓や生活の知恵をこめた寓話まで、すべて歌に託しているのです。

トン族地域では民歌の口承が広く行われています。文字のなかった時代には、民歌は伝統的な文化を記憶し、保存する働きをしていました。口承のトン族琵琶歌は外来語に頼ることが少なく、トン族人の生活を自然に表現できるので、教育と娯楽という両方の働きをしてきました。トン族の人にとっては親しみやすい文芸形式の一つです。内容がすでに時代遅れになっている琵琶歌も存在しますが、社会環境と生活様式がほとんど変わっていないため、口承の方法は伝統文化の伝承ばかりではなく、新しい生活の描写も、大きな役割を果しています。トン族琵琶歌はこれからもこのような機能をもち続けるでしょう。


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