日本音楽学会中部支部 第138回定例研究会

開催概要

内容:名古屋の雅楽関連資料の紹介と解説

日時:2023年(令和5年)12月16日(土)13時30分~

 対面とオンラインのハイブリッド開催・事前申込制

会場:愛知県立芸術大学演奏棟大演奏室B(空調の都合により教室を変更)

司会:安原雅之(愛知県立芸術大学)

1.寺内直子(神戸大学)「名古屋の商家・高麗屋(七代目)旧蔵の雅楽器について」

2.清水禎子(愛知県公文書館)「名古屋市吉田家文書に見る雅楽関係資料」

3.明木茂夫(中京大学)「中京大学所蔵日本古典音楽関連古典籍簡介」


【傍聴記】

 本研究会では、愛知県立芸術大学に新たに寄託された雅楽器とその関連資料、および中京大学に所蔵される古典籍を展示しながら、名古屋の雅楽関連資料の紹介と解説を行った。 今回は、神戸大学の寺内直子教授、愛知県公文書館の清水禎子さんをお招きし、中部支部の明木茂夫支部長を加えた3名のスピーカーが報告にあたった。当日は会場10名、 オンライン6名の参加があり、雅楽資料を旧蔵していた吉田家ご関係の方々も来場された。
 寺内氏からは、名古屋の油商人であった「高麗屋」の七代目当主・吉田新三郎種彦(1870-1918)が所蔵していた雅楽器に関する報告が行われた。報告では尾張における雅楽の伝統や、 それを支えた楽僧に関する概観があった上で、吉田種彦が、名古屋の豪商伊藤祐民(すけたみ)・祐昌(すけまさ)父子(いとう呉服店[のちの松坂屋]創業家)らとともに、 名古屋東照宮の楽人であった恒川家や、宮内省楽部の楽人から雅楽を習っていたことが説明された。また、吉田家には多く雅楽器とともに、熱田神宮における雅楽奉納の写真も所蔵されていた。 これらの写真は上演される演目から、明治45年頃のものと推定され、当時の名古屋における雅楽実践を伝える貴重な資料となっているとのことだった。
 次に、清水氏からは、愛知県公文書館に新たに所蔵された吉田家文書のうち、特に雅楽に関係する資料が紹介された。とりわけ、雅楽の百科事典的な書籍である『楽家録(がくかろく)』 (1690年/元禄3年成立)の写本に関して、残された署名や蔵書印から、書写者および写本の成立時期の考察が行われた。それによると、吉田家に伝わる『楽家録』は、尾張藩の重臣で雅楽愛好家でもあった志水家に仕え、 同家私塾の時習館教授を務めた山口耕軒(こうけん)により写されたもので、明治から大正期にかけて、上述した恒川家を通じて吉田家が入手したのではないかということである。このような、 寺内、清水両氏の報告を通じて、明治から大正期の名古屋では、雅楽の伝承・保存において商家が重要な役割を担っていたことが示されたと言える。
 つづいて、明木氏からは、中京大学に近年所蔵された日本音楽関連の古典籍のうち、特に重要なものや名古屋に関連するものの紹介があった。その中でも、 本研究会のテーマに強く関連するものとしては羽塚啓明『雅楽曲名考』写本、狛光張『声明楽譜大全』写本が挙げられる。前者は、真宗大谷派守綱寺(名古屋市中区)の住職で名古屋の雅楽文化を支えた羽塚啓明による書籍で、 写本には守綱寺から借りて謄写したと書かれている。一方で、後者は雅楽の器楽奏者のための楽譜であるが、やはり真宗大谷派浄信寺(名古屋市中村区)から借りて謄写したと書かれている。 その上、両者には「中野氏蔵書 尾張名古屋梅枝町住居」という共通の蔵書印があり、現在の名古屋市中区丸の内あたりに居住した中野という人物がこれらを写したと推測される。明木氏は、 この2冊の事例から、名古屋における雅楽を通じた人脈が垣間見られると説明した。なおこの報告では、書籍の現物を書画カメラで映しながら蔵書印や書き込みについての解説がなされた。
 以上3名からの報告に対し、参加者からは「三方楽所の楽人は地方における雅楽伝承をどのように評価していたのか」「吉田家が『楽家録』を所有していたことはどのような意味を持つのか (雅楽の実践に携わる者であれば誰もが持つような書物だったのか)」などの質問があがった。質疑応答の後、会場では吉田家の雅楽器および雅楽に関する文書資料、中京大学所蔵の日本音楽関連資料の閲覧時間を設け、 参加者は資料を手に取って自由に閲覧、ディスカッションしていた。

写真1.スピーカーによる報告
写真2.雅楽器について説明する寺内氏(右から2人目)
写真3.資料を閲覧する清水氏(机の右側)と明木支部長

文責:七條めぐみ(愛知県立芸術大学)