日本音楽学会中部支部 第122回定例研究会報告
日時:2018年(平成30年)3月31日(土) 13時30分~16時30分
場所:愛知県立大学・愛知県立芸術大学サテライトキャンパス
愛知県産業労働センター ウインクあいち15階
司会:安原雅之(愛知県立芸術大学)
〈教育フォーラム〉
○卒業論文
植野美澪(愛知県立芸術大学音楽学部 作曲専攻音楽学コース)
「クヌート・ニーステッドの合唱作品研究――無伴奏混声合唱作品を中心に」
村瀬優花(愛知県立芸術大学音楽学部 作曲専攻音楽学コース)
「G. Ph. テレマンのオペラ研究――ハンブルグで上演された作品の楽曲分析からの考察」
○音楽総合研究修了論文
長坂尚樹(愛知県立芸術大学大学院音楽研究科博士前期課程 鍵盤楽器領域)
「ジャン=フィリップ・ラモー クラヴサン作品おける装飾音の考察――ラモーによる音楽理論の視点から」
高橋琴美(愛知県立芸術大学大学院音楽研究科博士前期課程 弦楽器領域)
「芥川也寸志〈弦楽のための三楽章(トリプティーク)〉――改作・転用前後の比較」
〈研究発表〉
1. 博士論文発表
杉山怜(愛知県立芸術大学大学院音楽研究科博士後期課程 弦楽器分野)
「イヴァン・ヴィシュネグラツキーの弦楽四重奏曲に用いられた四分音技法――四分音による旋法性の形成」
2. 研究発表
浅野隆(金城学院大学名誉教授)
「音楽学とハイデッガー前後」
【発表要旨】
〈教育フォーラム〉
中部支部では若い研究者育成の一環として例年教育フォーラムを開催し、この地域の大学と大学院に
提出された音楽学関連の卒業論文・修士論文の要旨報告、ならびに会員による合評を行っている。今回報告された論文の発表要旨は
以下のとおりである。(明木茂夫記)
クヌート・ニーステッドの合唱作品研究 ――無伴奏混声合唱作品を中心に
植野美澪(愛知県立芸術大学音楽学部 作曲専攻音楽学コース)
クヌート・ニーステッド Knut Nystedt(1915-2014)はノルウェーの作曲家、指揮者、オルガニストである。オスロのさまざまな教会で
オルガニストとして活動し、また1950年から40年間、ノルウェー・ソリスト合唱団の指揮者を務めた。彼が作曲した作品は約400曲、合唱曲は
全302曲で、最も多い編成は無伴奏混声合唱で63曲が作曲された。
ニーステッドの作品は現在ノルウェーのみならず世界中で演奏されているが、作品に関する研究はほとんど行われていない。本研究では
無伴奏混声合唱作品に焦点を当て楽曲分析を行い、彼の作品の特徴と変遷を明らかにすることを目的とする。なお、ニーステッドの作品の多くを
初演していたノルウェー・ソリスト合唱団が混声合唱団であったこと、作品数が最も多い編成であることから、無伴奏混声合唱作品に焦点を当てる。
本論文は2章によって構成される。第1章「クヌート・ニーステッド」では、ニーステッドの基本的な情報についてまとめた。第1節では、
ニーステッドの生涯について概観し、音楽活動を中心に述べた。第2節ではニーステッドのさまざまな音楽活動の中でも作曲家としての活動に焦点を
当て、彼の作品を概観した。第2章「楽曲分析」では無伴奏混声合唱曲全63曲から、一部の作品の楽曲分析を行った。本論文では彼の作品の特徴が強く
表れていると考えられる8曲を取り上げた。
本発表では論文中第2章で扱った8曲のうち、3曲を取り上げた。「わたしは主に感謝をささげ I will praise, thee O lord Op.43 No. 3」(1957)
は小規模なモテットで、冒頭と終結部はコラール風、中間部はポリフォニーによって構成される。「深き淵から De Profundis Op.54」x(1962)は
さまざまな要素が含まれた大規模で実験的な作品である。クラスターが多く、図形を用いた記譜法が使用されている。「エルサレム Jerusalem Op. 154」
(1998)は混声八部合唱の大規模な作品である。曲を通してニ長調ではあるが、七の和音、九の和音の多用によって調性が非常に曖昧になっている。
第2章で行った楽曲分析の結果、作品は大きく3つの時期に分けられることがわかった。前期は1958年までの作品である。この時期には小規模な
モテットが多く、和音のみならずポリフォニーが使用されていること、またはっきりとした調性がみられることがわかった。中期は1958年から1985年で
ある。実験的な音楽が作曲されていること、特にクラスターの使用が多いことが特徴としてあげられた。記譜法にもさまざまな工夫がされている。
後期は1985年以降の作品である。後期の作品は前期、中期よりも複雑な和音が使用されクラスターのような響きを作り出していること、調性が回帰して
いることがわかった。作品全体の特徴として、ポリフォニーよりもコラール風な和音を中心として構成されていること、音型の上行、下行にあわせて
強弱が変化していることを述べた。
G. Ph. テレマンのオペラ研究 ――ハンブルクで上演された作品の分析からの考察
村瀬優花(愛知県立芸術大学音楽学部 作曲専攻音楽学コース)
今回発表した論文は、ゲオルク・フィリップ・テレマン Georg Philipp Telemann(1681-1767)のオペラ作品の分析を行い、それらの歴史的意義を
考察することを目的とした。
テレマンがオペラを多数作曲していたことはあまり知られていない。生涯で40ものオペラを作曲したことがわかっており、そのうち8つが現存して
いるが、現在一般的な劇場のレパートリーに入ることはない。テレマンは1721年から1767年に亡くなるまでハンブルクで過ごし、同地でオペラ作曲家
としても成功した。ハンブルクは17世紀末から18世紀半ばにかけてドイツ語のオペラが最も盛んに上演されていた都市のひとつであり、テレマンに
とってオペラというジャンルが重要な部分を占めていたと考えられる。そこで本論文では、テレマンのオペラ作品自体に焦点を当てた。
論文全体は2章から構成され、第1章「ハンブルク時代のテレマンとオペラ作品」では、まず第1節でハンブルクにおけるテレマンの音楽活動を作曲家、
劇場監督、その他に分類してまとめた。第2節では、ハンブルク時代より前の作品や他の都市のために作曲した作品も含めて彼のオペラ全作品を概観し、
現在わかっているテレマンのオペラ作品についての情報を一覧にした。また、1721年から1744年までのゲンゼマルクト劇場でのテレマンのオペラの
上演記録を作成した。
第2章「分析」では、テレマンがゲンゼマルクト劇場のために作曲した8つのオペラから特に上演が盛んだった初期の3作品を取り上げた。第1節では
《忍耐強いソクラテス Der geduldige Socrates》(1721年)、第2節では《当節はやりの恋人ダモン Der neumodische Liebhaber Damon》(1724年)、
第3節では《ピンピノーネ Pimpinone》(1725年)の分析を行い、それぞれ音楽面での特徴、言語面での特徴、その他の特徴を挙げた。3作品は喜劇的で
風刺性を持った内容という点で共通している。当日は時間の都合上、第1節を紹介した。《忍耐強いソクラテス》には、特筆すべき音楽的特徴が5点ある。
1点目は、付点リズムが特徴的で緩-急-緩の3部から成るフランス風序曲が第1幕の前に置かれていることである。2点目は、レチタティーヴォ・セッコと
ダ・カーポ形式のアリアを交互に配置したイタリア・オペラの伝統的な形式に倣っていることである。3点目は、アリアにメリスマ的音型がよく
見られる点である。4点目は、二重唱が効果的に使われ、歌詞がイタリア語の場合とドイツ語の場合で音楽づけが異なる点である。ドイツ語の場合、
一方が長い音価で伸ばす際にもう一方も類似母音で重なるように書かれている。5点目は、演出を助ける音楽的なさまざまな工夫である。例えば、
祭りの場面でティンパニやトランペットが使われる。言語面での特徴としては、台本はイタリア語とドイツ語の混合であるが、全てのレチタティーヴォと
一部のアリアがドイツ語に翻訳されていることが挙げられる。
本論文で取り上げた作品は一部に過ぎないが、先行研究では見られなかった音楽面、言語面、演劇面等さまざまな面からの詳細な分析を行った結果、
効果的に使われる二重唱の通模倣的な掛け合いの組み立て、ドイツ語歌詞を持つ重唱の音節の処理、演出を助ける音楽面での工夫において優れていることが
明らかになり、テレマンのオペラ作品には再評価の価値があることが指摘できた。
ジャン=フィリップ・ラモー クラヴサン作品おける装飾音の考察 ――ラモーによる音楽理論の視点から
長坂尚樹(愛知県立芸術大学大学院音楽研究科博士前期課程 鍵盤楽器領域)
本発表は、修士論文に基づき行われたものである。
フランスの作曲家であるジャン=フィリップ・ラモーJean-Philippe Rameau(1683-1764)は作曲家であると同時に音楽理論家でもあった。ラモーは、
実験を根拠とする自然科学の手法によって、音楽の源泉が和声であることを証明しようとした。そこで本論文では、ラモーの楽曲の中から装飾音を
取り出し、根音バスとの関係を調べることで、音楽の源泉が和声だと考えたラモーの理論の正当性を考察した。
本論文は3章から構成される。
第1章「ラモーと周辺の人々」では、ラモーの音楽理論が形成された背景、そしてその理論がどのように受け入れられたのかについて論じた。
百科全書派の思想家たちとラモーの関係から、ラモーの音楽理論は当時の知識人たち、そして社会・思想の影響を強く受けて生まれ出たものであることを
指摘した。
第2章「ラモー音楽理論の概要」では、ラモーの音楽理論、特に和声に関する理論の概要をまとめた。第1節では、ダランベールの『ラモー氏の原理に
基づく音楽理論と実践の基礎』(Elemens de musique theorique et pratique, suivant les principes de M.Rameau, 1752)をもとに、ラモーの
音楽理論の根拠となっている3つの実験についてまとめ、ラモーの理論が当時の自然科学の発想に基づいたものであったことを指摘した。第2節では、
ラモーの音楽理論の全体を通した基本的な概念を6つの項目にわけ、それぞれがどのような考えによって形成されていったのかを明らかにした。
第3節では、晩年のラモーが、音楽の原則は常に自然に求めるべきであり、さらにその自然の原則は、この世に存在するあらゆる事柄の原理であると
考えるようになった、という思想的な部分を明らかにした。
第3章「装飾音とラモーの音楽理論」では、装飾音が和声の影響を受けていることを、根音バスによる楽曲分析により明らかにし、和声が音楽の
原理であると考えたラモーの正当性を主張した。ラモーの《クラヴサン曲集》の装飾音を根音バスによって分析し、ラモーが考える和声の強さと
装飾音の付く位置が一致しやすいという結果が出たことから、装飾音が和声からの影響を受けて用いられていることを明らかにした。
今回の研究によって、旋律の進行やリズムからつけられることが多い装飾音が、和声の影響を受けて用いられていることが示唆された。このことは
ラモーの音楽理論を正当化する上で大きな根拠となると考えられる。自然に音楽の唯一の原理を求め、その唯一の原理が和声であるという考えを持った
ラモーは、それまで親交を持っていた多くの人々から見放されていった。しかし今回の分析結果が示すのは、ラモーの音楽理論が、音楽の本質を捉えた
理論であったということではないかと考える。
芥川也寸志〈弦楽のための三楽章(トリプティーク)〉 ――改作・転用前後の比較
高橋琴美(愛知県立芸術大学大学院音楽研究科博士前期課程 弦楽器領域)
本発表では、芥川也寸志(1925-1989)の〈弦楽のための3楽章(トリプティーク)〉(以下「トリプティーク」とする)を題材として、
改作・転用前後の比較をし、変遷や特徴を明らかにすることを目的とした。
芥川也寸志のトリプティークは、演奏会で取り上げられる機会が多い弦楽合奏曲であり、自身の〈弦楽四重奏曲〉の第2楽章・第3楽章がそれぞれ
転用されている。これまでの芥川の作品に関する研究の中で、彼は作品の改作・転用を多用していることについて言及しているものがあるが、
彼の作品の中でも非常に有名なトリプティークについて取り上げている研究は見当たらない。ここで、明治学院大学図書館付属日本近代音楽館に
所蔵されている、1948年に作曲し、初演後に破棄した〈弦楽四重奏曲〉のスコア自筆譜と、トリプティークのスコア自筆譜とスケッチを閲覧し、
それらの資料と現在出版されている音楽之友社出版のトリプティークのスコアとを改作・転用の点から比較し、考察した。
論文全体は3章から構成される。そのうち本発表では、第3章「〈弦楽のための三楽章(トリプティーク)〉と〈弦楽四重奏曲〉の比較」について
取り上げた。その内容は、分析の対象となる資料、分析方法に加え、トリプティークの第2、3楽章と〈弦楽四重奏曲〉の分析内容について述べてある。
第2楽章の分析後の考察は、音量指示がトリプティークでは全体的に一段階落としている箇所が多かったが、これは弦楽合奏という編成になると
音量が増えるので全体的に音量を意図的に落としたのか、子守唄らしくより静かな演奏を求めて訂正したという2通りが考えられる。速度指示が
トリプティークでは減少していたことに関して、余韻に浸る感覚が軽減され、しつこさのない曲調にしたのではないかと考えられる。
第3楽章の分析後の考察は第2楽章とは逆で、〈弦楽四重奏曲〉に比べて全体的に音の強さがより増すような発送記号の変更があった。弦楽合奏という
編成になると音量が増えるので全体的に音量を意図的に落としたと考えた第2楽章に対し、第3楽章は弦楽合奏という編成でも更に強さを増すように
改作されていた。〈弦楽四重奏曲〉に比べ、音の発音をはっきりさせて演奏した方が効果的で、オスティナートをより効果的に表現できるような
リズムの変更も特徴的な改作点ではあった。
以上より改訂時に、装飾音符の追加、音量指示の変更、オスティナートを意識したリズムの変更など、芥川が各楽章の改訂に明確な意図をもって、
より良い作品にしようとしたことが明らかとなった。
本論文は、芥川の改作・転用の諸相を明らかにするとともに、改作・転用の調査の意義も示した。芥川の研究、または今後の音楽作品の調査の発展に
貢献できると期待する。
〈研究発表〉
1. 博士論文発表
イヴァン・ヴィシュネグラツキーの弦楽四重奏曲に用いられた四分音技法 ――四分音による旋法性の形成
杉山怜(愛知県立芸術大学大学院音楽研究科博士後期課程 弦楽器分野)
本発表では、愛知県立芸術大学大学院音楽研究科に提出した博士論文「イヴァン・ヴィシュネグラツキーの弦楽四重奏曲に用いられた四分音技法 ―四分音による旋法性の形成―」
に基づき、全3章で構成される本論文の第3章「ヴィシュネグラツキーの弦楽四重奏のための作品に用いられた四分音技法」を中心に概括した。
イヴァン・ヴィシュネグラツキー Ivan Wyschnegradsky(1893-1979)に関する研究は、ヴィシュネグラツキー自身による著作の出版や再版とともに、
これまでにその音楽理論や音楽観を明らかにする研究が行われている。一方で、ヴィシュネグラツキーの作品に焦点をあてた研究は少なく、
弦楽四重奏のための作品に関するものは、バルバラ・バルテルムスBarbara Barthelmesによるヴィシュネグラツキーの弦楽四重奏曲第1番
Premier quatuor a cordes 作品13(1923-1924、改訂1953)の作品構想や作品構成について概観した研究が唯一存在している。本研究では、
弦楽四重奏曲第1番の四分音技法のさらなる検討とともに、弦楽四重奏曲第2番Deuxieme quatuor a cordes 作品18(1930-1931)や、四分音音階による
弦楽四重奏のための《コンポジションComposition》作品43(1960、改訂1966-1970)といったヴィシュネグラツキーの四分音を用いた弦楽四重奏の
ための作品に焦点をあて、さらに四分音ピアノのために構想され、弦楽四重奏の編成で初演された《前奏曲とフーガPrelude et Fugue》作品15(1927)
についても対象としながら、作品の構成に共通する特徴について「旋法性」の観点から検討を行った。なお、本研究での四分音の「旋法性」とは、
四分音の24音のなかで中心的な役割を果たしている音や領域が存在する状態を指している。
弦楽四重奏曲第1番についてヴィシュネグラツキーは、自ら「連続体continuum」と呼んだ、四分音の密集した和音に基づく作品構成を説明している。
またバルテルムスは、本作品が各声部の収縮と拡大によって構成されていることを譜例とともに示し、その楽節構造を指摘した。本研究では、
作品の推移のなかで形成されていく連続体のそれぞれの間にどのような関係性が見出されるかに着目し、連続体の推移の観点から作品全体を4つの
セクションに分け、それぞれの連続体の関係性を検討することで、本作品が連続体を核とした、四分音によって拡張された旋法性を大きな構造として
持つことを明らかにした。
《前奏曲とフーガ》作品15では、ヴィシュネグラツキー自身が「連続体の転回renversement du continuum」と呼んだ、連続体の和音を音程的に
転回させた和音に関する技法の特徴に注目するとともに、ヴィシュネグラツキーのロシア時代の歌曲《赤い福音書L'evangile rouge》(1918-1920、
改訂1937)の第6曲の旋律に主題の音程構造が類似していることを指摘し、またフーガでは楽節構造が変化する箇所で連続体が形成されていることを
指摘した。各声部が連続体へ収束していく構造から、本作品の大きな構造として四分音による旋法性が見出された。
全3楽章で構成される弦楽四重奏曲第2番では、第1楽章において嬰へ音を核とする構造が中心的な役割を果たし、楽章全体が旋法的に推移している
ことが確認され、第2楽章では嬰ヘ音を核とした構造からハ音を核とした構造へと推移し、第3楽章ではハ音を土台とした構造を中心として作品が
構成されていることが明らかとなった。これらのことから、本作品において嬰へ音やハ音を土台とする構造をそれぞれ持つ点から、作品の構成のなかに
旋法性の要素が見出された。
四分音階による弦楽四重奏のための《コンポジション》では、各声部の四分音による音階的な進行の様相に着目して、それらの進行が収束していく
地点を確認することによって作品全体の構造を明らかにし、作品の大きな構造として四分音による旋法性の要素を見出した。
これらの検討から、ヴィシュネグラツキーの四分音を用いた弦楽四重奏のための作品に共通する特徴として、四分音による旋法性が見出された。
2. 研究発表
音楽学とハイデッガー前後
浅野隆(金城学院大学名誉教授)
本日の発表の題目は、お知らせ致しましたように、「音楽学とハイデッガー前後」とさせていただきました。これは、私が今まで過ごしてきました
大袈裟に言えば人生の節目に関わることかもしれないと思ったからであります。
そこで、ハイデッガーと言えば、どなたも『存在と時間』と言うくだくだと長い論考を御存知かと思います。音楽学ということに限定した書物の中に、
はっきりと「私はこの論考を基礎に致しました」、と言う物が二冊あります。一冊はツッカーカンドルの書いた『音楽の本質』(The Sense of Music,
Die Wirklichkeit der Musik)であり、もう一冊はゲオルギアーデスの書いた『音楽と言語』副題として ―ミサ曲に示される西洋音楽のあゆみ―
(Musik und Sprache ―Das Werden der abendlandischen Musik dargestellt an der Vertonung der Messe)であります。
まず、ツッカーカンドルでありますが、上記の書物の序文で彼は、かつて歴史の遺跡に有った楽器はどこかで音を失ってしまい、音の言葉と言語の言葉に
二分され、どこかで音の言葉を無くしてしまったという現実があると言います。
ここで音を知覚する我々は非常に特殊な部分に有り、例えば、色彩・熱い・冷たい・ざらざら・つるつる・ふわふわ等は生命のない自然にも存在します。
しかし生命の本質は感覚世界を音に継ぎあわせます。ということは、世界は音をすぐ傍に見出すのです。よくよく考えて見ますと、音は元々生命のない
自然に生命を送り込んだのです。騒音は元々音楽には入れられず、彼はここで生命そのものは聴覚よりも優位に、視覚よりも広く知られているはずだと
します。「人は生命の内に聴き、生命の内に見る」と言う場合、対象に有る法則はすでにギリシャ古典にあり、そこに有る静止した理念は、いまや
消えてしまった脆さ、は聴くより見る方がずっと優位であったことの証です。これは誰かがそう感じたと言う範囲ではなく、世界の周辺に存続する重要な
関連組織としての聴覚がそのまま勢力を維持するかしないかの状況変化かも知れません。我々の平凡な生活の中で視覚性が、つまり言葉・触覚・思考が
ずっと外見を形成するまで進み、方向付けし、信頼され、視覚化が直ちに周りの世界になる。聴覚は視覚の枠に大方は組み入れられ、例外的に音楽に
於いてのみ成り立っているのです。視覚的に言って反対側にあるのが音楽だとすると、対面する我々は、いまや塞がってしまった対象世界で、その巨大な
思考はすべてこうした展開の例なのです。中国・古代ギリシャ・神秘主義・キリスト教・中世・ルネッサンスの思考などすべてはそうした思考の変動なのです。
19世紀以降重要視されたのは全ての科学がそうであったように音楽学も自然科学の前景から方向付けられた物で、より効果的には音楽の外的周辺に
近づけることだけが示され、音響や音楽心理学だけが目立ってしまうことが多くなったに過ぎません。なんでも利用すれば何かが出てくると言う形で、
病理学・民俗学・知覚理論すべてそうで、本質について考える場合、世界の不思議を正当化させるために間違った支配的な思考方法が音楽の知識そのものの
維持よりも遥かに多いことは考えなければならない。そこで我々は支配的な思考方法を取り入れなかったら、一方で不思議とか例外を、安易に見届けて
しまうことに成るかもしれません。そこでは不思議を除去するよりも、暗闇から明るみに持ってゆくことを考えるべきでしょう。これを作品の世界で
考えることは、音楽がある場で、いかに世界が創造されるか、世界で音楽に遭遇する場合、それをどう創造するかです。言うなれば如何にして不思議な
音楽を見いだすかであります。
次にはし折りまして、ツッカーカンドルが「空間は可聴か?」と言う項で述べていることに触れておく必要がある。ここで彼が明言していることは、
多くの言及を私と空間と言う二つが支配している事だけを強調します。先に空間と時間を楽曲構造を分析的に見てきた彼は「時間」の存在をどこに
見出すかに苦慮しています。音楽と遭遇する最終段階での我々の感覚的感情とか身体的空間的物質と言う今日的に明瞭でないことはやめ、こう
纏めたのでしょう。「我々は見ます。青い花を。我々はつかみます。柔らかな壁面を。我々は聴きます。楽音を、否鳴り響く側面を」と。空間は精々現存を
必要とする空間性との結びつきだけなのです。<高い><低い><上><下>これらは空間的とは区別された動力学的性格のものです。一方思考は常に
非感覚的であるはずです。ここで我々は確認のための必要として心理学にのみ持続させます。そこで初めて我々は、見ること、聞くこと、触ることの部分に、
全体がどこかで違った場所の物、違った何かの意味でつかむと言う分極化が必要なのです。楽音に関する特殊性の一つとして、エルグィン・シュトラウスは
こう言います。「楽音は我々に近寄ってきて我々に到達し、そしてふわふわと通り過ぎ、空間を満たし、一貫して統一するのです」と。私に空間から
遭遇する様相がよく分かります。つまり、空間は常に私の外側に有り、私に向かっており、楽音の聴衆として常に私に向かって運動する楽音を受け止め、
じっとその経過の内を体験すると、楽音又は集団の楽音に進むと、空間の周りは生命に満たされるように映ると言うのです。ここで、これまで空間としての
全ての内に聴覚空間の現存在を信じなければならないのです。しかし、一方で現象的空間と科学的空間の法則性持続さえ見いだせないならば、先の目・
手が助けに入らなければならないのです。更に音響を分極化すると、聴覚器官の目立った成果として耳で外を見ることに至るのです。
ここで音響を通じての三次元・空間の組織・方向の多様性・対象の充填性と言う点で考慮するならば、それは空間性との同一視があっても何ら問題は
ないとみられるのです。ここで、「唯一感覚的感情の下の楽音は、我々に特に決まった身体的空間的物の特性として遭遇することはないのです。我々は
見ます。青い花を。我々はつかみます。滑らかな城壁を。しかし我々は聴きます。楽音を、否鳴り響く側面を」。物ではなく、現存在の意図する原因を
今一度探求するのです。
さてそこで、本来ならば基本的に本日の発表の題目の中心をなすハイデッガー、別けても「存在と時間」の論拠を語らなければならない所ですが、
この後T.G.ゲオルギアーデスに触れるに際しては、この著のあとがきに訳者(木村敏)もちょっと触れている「存在と時間」の一部(同書第一巻の
原書P27~)について、触れておかなければなりません。内容的には先の「空間は可視か?」の内容の原著と思ってもらえばよく、現存在と存在の関連は
さておいて、時間論についてはゲオルギアーデスの論を進めていくなかで、簡単に触れておく必要はありそうです。先に現存在が存在と言ったものを
漠然とでも理解し、解釈している根源が時間であることを明らかにする必要があります。例えばアリストテレスからベルグソンを経て持続されている
伝統的な時間概念はどこか存在的標識であり、時間的な存在(自然の運行や歴史的出来事)は、非時間的存在(空間的及び数的)から区別されねば
なりません。と言うのは、これまで「時間」は通俗的時間了解の視界で明らかに存在論的機能に踏み込んだままでした。しかしその存在論の
中心的問題提起の中に正に明らかにされた時間現象が根ざされており、存在が時間から捉えられ、その諸々の変化や起源が時間を念頭に置いて
了解されるとき、時間をもってする存在、性格、様相の根源的な意味規定性(Sinnbestimmtheit)を存在的時間規定性と名づけ、存在の意味への問いに
対する具体的な解答が与えられるわけです。そこには「古代」からすでに準備された可能性をとらえることを学びうる、とするのです。
さてここで、ハイデッガーと個人的な関わりもあり、上記の時間論とも大いに関わるゲオルギアーデスの著『音楽と言語』に触れることにします。
彼がここで敢えて二分した世界は古代ギリシャと西洋でありました。此れとは別に二つの観点を必要とするならば、一つは鳴り響く音形態として、
一つは普遍的・精神的・人間に根差したもの、言い換えれば一つは楽曲構造に注目した場合であり、一つは音楽と言語の関連を追及することにより
達成された観点、ということになります。ここで古代ギリシャのリズムと言う点を考えて見ると(ここではピンダロスのオリンピア賛歌を例証)、
ギリシャ語の語句は其々固定した実体的音楽を備えており、それぞれに固有の音楽的意志を有していた。個々のシラブルは伸ばしも縮めもできない固有の
長短を有しており、古代ギリシャ語のこの柔軟性を欠いた個体的対象的性質、これがギリシャ固有の音楽リズムにほか成りません。然しギリシャの
リズム原理は時間の分節(拍節やアクセント系列)と充当(さまざまな長さの音符による)との区別に基づいているのではなく、元来満たされた
(実体的)時間に基づいています。これはギリシャ語の特性として言語の側から規定され、これを保っていたのはギリシャ人の精神と言ってもよい。
ここの変貌は、言語における音楽的な音響実態が消滅していったものだと言います。
言語と音楽の合一の傾向はキリスト教の礼拝の中にも見出され、言語形態が散文的であったにもかかわらずキリスト教礼拝の共同体に基づく言葉の
必要性がはっきりと表れ、やがて音楽的に固定された朗唱が要求され、これが西洋音楽の生誕にほか成りません。今や音楽と精神の根源的な現象としての
言葉との間にたえざる対決が開始され西洋音楽の歴史の根源がここに有るとするのです。
彼のこの所を明確にするための4つの時代区分、最古の時期にカロリング朝、第二の時代をキリスト教的西洋(特にゲルマン民族が決定的)、
16世紀の宗教改革期、第三の時代にパレストリーナから始まり、ベートーヴェンの死、ウィーン古典派の終わり、第四の時代はそれ以降現代まで、
以下この著で述べられていることを敢えて省察する必要はないでしょう。
最後に一つ、E.W.サイードと言う評論家のやたら多くの著書の中から「音楽のエラボレーション」という評論集の一部を見ておきたい。序の一部で彼は、
ここで書かれているのは系統的な音楽学に寄与する意図はなく、ましてや文学と音楽とのかかわりについて一連の文学評論を意図したものでもなく、
むしろ西洋クラシック音楽の三つの側面について論ずることに努めたとあります。その三つとは、一つは音楽の社会的かつ文化的な状況の中で
実践されるが、個人個人の演奏・受容・生産を前提路するのも音楽であり、演奏自体の可能性は多種多様なものが複雑に絡まって作用しているからこそ
可能なわけで、その多くは社会的かつ歴史的なものである、一方これほど内的で私的なものは無い音楽と言う芸術を取り囲む公共的状況に意識的になる
必要がある、と言っている。彼はグレングールドのピアノ演奏について触れ、指とピアノと音楽の縫い目のない一体化と言う表現で、彼の演奏の特異性を
示している。彼は1964年にコンサート演奏を辞めてしまい、レコード録音と執筆と作曲に専念した。彼の言い分によれば、コンサート演奏は
レコードスタジオでは当たり前の「とりなおし」が出来ない、曲の一部に更なる練磨(コラボレーション)のために演奏しなおす機会をコンサートからは
得られない、とした。このことを遠望的に見ると、演奏と作曲を共有する人物はバッハにしろベートーヴェンにしろ、モーツァルトにしろ、近くには
ラフマニノフにしろバルトークにしろ、つまり演奏家と作曲家を共有する人物はベートーヴェン生後百年頃を境にしても、実在の記憶は十分にある。
こうした見方の中で忽せにできないのは教会・演奏会場・オペラ劇場で、今尚宮廷などの社会的文化的公共性を頼るのが現実です。