日本音楽学会中部支部 第116回例会報告

日時:2016(平成28)年3月26日(土)13時30分〜16時30分

場所:愛知県立大学・愛知県立芸術大学サテライトキャンパス ウインクあいち15階

司会:安原雅之(愛知県立芸術大学)

<卒業論文・実技系修了論文発表>

石川実希(愛知県立芸術大学音楽学部 音楽学コース)「アドルフ・アダンのバレエ《ジゼル》(1841)研究――楽曲分析を中心とした音楽についての考察」

佐藤さくら(愛知県立芸術大学音楽学部 音楽学コース)「フィギュア・スケート競技に用いられる音楽――プログラムに用いられた楽曲の分析とその比較」

武藤 綺音(愛知県立芸術大学大学院音楽研究科博士前期課程 作曲領域)「平曲と幸若舞曲にみられるテクストと音楽の構造的関係性」

安田文野(愛知県立芸術大学大学院音楽研究科博士前期課程 鍵盤楽器領域)「昭和初期におけるフランス音楽の受容について――紀元二千六百年奉祝楽曲発表演奏会におけるイベールの〈祝典序曲〉を中心に」

<研究発表>

明木茂夫 (中京大学)「曾侯乙墓出土「朱漆描金篪」の形状と『爾雅・釈楽』「一口上出」の解釈について──『中国音楽史図鑑』の翻訳に際して気づいたこと」


【発表要旨】

石川実希(愛知県立芸術大学音楽学部 音楽学コース)

アドルフ・アダンのバレエ《ジゼル》(1841)研究――楽曲分析を中心とした音楽についての考察

 本発表は、卒業論文に基づき、アドルフ・アダンAdolphe Adam(1803-1856)の《ジゼルGiselle》の音楽に焦点を当てる。アダンは、19世紀のフランスの作曲家で、劇場音楽を得意とした。彼の作品の中でも特に、1841年に作曲されたバレエ《ジゼル》はロマンティック・バレエの時代を代表する作品である。そして、その音楽は、以前の作品に多く見られたような、既存の曲をつなぎ合わせた音楽や、単なる踊りの伴奏として書かれた音楽とは異なり、《ジゼル》のために新たに作曲されたものであるが、音楽自体に目を向けられる機会は少ない。このような状況を踏まえ、本論文では、楽曲分析を行い、バレエ音楽史上で、その音楽を再評価することを目的とする。  本論文は全3章で構成される。第1章では、アダンの生涯と彼のバレエ作品を概観した。
 アダンは、オペラ作曲家として活躍する傍ら、バレエ音楽の作曲も始め、数多くの作品を残した。そして、《ジゼル》は、アダンが、オペラの作曲家としてだけではなく、バレエの作曲家としてもその地位を確立し始めた時期に作曲され、大変な人気を博したことがわかった。
 第2章では、《ジゼル》の作品概要をまとめた。第1節では、《ジゼル》が初演に至るまでの過程をたどった。《ジゼル》では、台本作家、振付師、舞台監督、作曲家等が相互に意見を出し合いながら作品を仕上げたことが明らかになった。また、《ジゼル》には、アダンの他にも、ヨハン・フリードリヒ・フランツ・ブルクミュラーJohann Friedrich Franz Burgmüller(1806-1874)の楽曲が、初演時から挿入されていることがわかった。第2節では、《ジゼル》の初演に関する批評を調査した。初演時の批評では、バレエの成功が称えられている。そして、一部の批評では、音楽も、独特のオーケストレーションや、バレエのストーリーに合わせて作曲した主題の使い方などに関してある程度の評価を得ている。第3節では、《ジゼル》の上演状況をまとめた。《ジゼル》は、初演から9年後に、オペラ座のレパートリーから外れ、その後、上演が続けられた国は、ロシアだけであった。日本国内では、《ジゼル》は、パリ初演から100年後に初演されている。このように《ジゼル》は、さまざまな国で上演を重ねながら、新たな演出が生み出されたことがわかった。
 第3章では、楽曲分析を行った。《ジゼル》の楽曲は、2つに分けることができる。1つ目は、バレエの登場人物や、その感情に応じて作曲される、ストーリーのための音楽である。これらの音楽は、より忠実に場面を描写するために、調性、拍子、テンポが頻繁に変化し、決まった形式を持たず、曖昧な終止で曲が締めくくられることを特徴としている。またアダンは、これらの音楽を作曲する際に、ライトモチーフの先駆けともいえる手法を使っている。2つ目の音楽は、踊りのための音楽である。これらの音楽は、調性、拍子、テンポが一定で、明確な終止を持ち、8小節を基本とした形式であることを特徴としている。この2つの音楽を織り交ぜることで、バレエに、自然でスムーズな流れがもたらされている。また、アダンは、フーガや、ヴィオラのソロの楽曲なども盛り込み、工夫を凝らして、完成度の高い作品に仕上げている。これらのことから、《ジゼル》は、バレエ作品としてだけではなく、その音楽も評価に値すると改めて述べることができると考える。


佐藤さくら(愛知県立芸術大学音楽学部 音楽学コース)

フィギュア・スケート競技に用いられる音楽――プログラムに用いられた楽曲の分析とその比較

 フィギュア・スケートは、ジャンプやスピン、ステップなどをこなしつつ、個々が選んだ音楽に合わせて演技を行い、それが採点される競技である。もともとは、中世のオランダ貴族によってもたらされた遊びに始まり、氷上に図形を描いてその美しさを競っていた。1906年にI.S.U.(International Skating Union)が発足し、正式にスポーツ競技として認められることとなり、現在では男女シングル・スケーティング、ペア・スケーティング、アイス・ダンシング、シンクロナイズド・スケーティングの4種目が競技種目として認定されている。
 現在のフィギュア・スケート競技において、音楽はすべての競技種目に用いられ、プログラムの大部分を形成する重要な要素であるにもかかわらず、フィギュア・スケートを音楽的な視点で考察することを目的とした研究はなされてこなかった。本研究では、競技における音楽の位置づけを明らかにするとともに、プログラムを分析し、さまざまな視点から音楽を考察することを目的としている。研究にあたっては、先行研究や資料の調査及び精読、競技プログラムに用いられた音源の調査と分析、振り付けと音楽を照らし合わせた競技プログラムの分析と比較を行った。
 I.S.Uは2年に1度総会を開き、ルールの改正や承認を行っており、総会終了後にルールの変更点などがまとめられてルールブックとして刊行される。ルールブックを音楽の点から読み進めると、音楽に関して具体的な規定はされていなかった。しかし、演技構成点の採点基準において、動作が「音楽に合っている」ことが含まれていることから、音楽は競技に大きな影響を持っている可能性が十分にあることを指摘した。
 プログラムの分析にあたっては、過去10大会分のオリンピックの金メダリストを対象に、プログラムがどのように構成されているかということ、また、音楽とエレメンツとの関係性について検証した。分析の結果、1980年代前半のプログラムには複数の曲が使用されており、それらの曲調やテーマには統一性がなかったが、1980年代後半になると改善がみられた。やがて1990年代後半以降になると、1つのプログラムとしての流れも重視されるようになった。
 音楽とエレメンツに関しては、1980年代から、いろいろな曲調を表現したり、音にエレメンツを合わせるということについては行われているようだった。音楽が統一性を持つにつれ、曲が変わる度に停止することが少なくなり、使用された曲のストーリーを表現する振り付けが取り入れられるなど、上手にプログラムを構成する工夫が見られるようになった。そして、2004 – 2005シーズンから採用された新採点方式において、エレメンツの加点の基準として「音楽に合っている」ことがルール上で言及されるようになると、音に動きを合わせるだけではなく、実施されたエレメンツに合わせて音を追加するなど、音楽が動きに合わせるように編集されることが見受けられるようになった。今後さらに音楽がフィギュア・スケート競技に与える影響は増大し、音楽の選択のみならず、編集の仕方にも配慮することが試合で勝つためにより重要になっていくと考えられる。


武藤 綺音(愛知県立芸術大学大学院音楽研究科博士前期課程 作曲領域)

平曲と幸若舞曲にみられるテクストと音楽の構造的関係性

 本発表は、発表者が愛知県立芸術大学大学院音楽研究科に修了論文として提出した「平曲と幸若舞曲にみられるテクストと音楽の構造的関係性」に基づく。
 本論文は、同一のテクストを持つ複数の声楽曲の分析と比較を通じ、テクストの時間構造=段落構造と音楽の時間構造=楽式構造の関係性について、多角的な考察を行うことを目的とした。分析・比較の対象としては、平曲《木曽願書》および幸若舞曲《木曽願書》を採り上げた。平曲(平家琵琶)と幸若舞は、詞章の伝達を重んじる性質を持ち、能や浄瑠璃などとともに、いわゆる「語り物」に類される。いずれの語り物芸能においても、その性質上、テクストと音楽の関係は活発に議論されてきたが、一方で、複数の芸能にまたがる分析的比較研究は、これまで実践されてこなかった。本研究は、対象となる2曲が「木曽願書」という一つの物語を扱っており、さらに2曲の間でテクストの改変がほとんどみられないことに着目し、行ったものである。論文の目次は次の通り。

序論
第1章  平曲と幸若舞曲の伝承
 第1節  平曲の伝承と楽譜資料
 第2節  幸若舞曲の伝承と楽譜資料
 第3節 《木曽願書》のテクストをめぐって
第2章  平曲と幸若舞曲の音楽構造
 第1節  積層性の概念
 第2節  先行研究における積層構造モデル
 第3節  平曲と幸若舞曲の構造比較に際して
第3章  平曲《木曽願書》と幸若舞曲《木曽願書》の積層分析
 第1節  平曲《木曽願書》の積層分析
 第2節  幸若舞曲《木曽願書》の積層分析
 第3節  平曲《木曽願書》と幸若舞曲《木曽願書》の比較
結論
付録
参考文献

 発表では主に第2章および第3章を解説した。
 第2章「平曲と幸若舞曲の音楽構造」では、楽曲分析と比較の実践に先立って、平曲および幸若舞の先行研究における分析の理論と手法を整理している。あらゆる語り物芸能の音楽構造は、ほぼ共通して横道萬里雄氏の「積層性理論」による理解が可能であり、平曲と幸若舞についても、それぞれの特徴をふまえた上で、積層性理論に則った楽曲分析のメソッドが確立されている。本章では、平曲と幸若舞の音楽が、ある程度共通のフレームワークを持ちながらも構成法を異にすること、またそれに起因して、両者の分析メソッドにも違いがあることを論じた。
 第3章「平曲《木曽願書》と幸若舞曲《木曽願書》の積層分析」では、実質的な楽譜資料に基づいて対象2曲の楽曲分析を行い、前章での議論をふまえて、結果の比較を行っている。ここでは、平曲《木曽願書》においても幸若舞曲《木曽願書》においても、テクストの分節位置と音楽の分節位置は、基本的に強固な対応関係をみせていることがわかった。一方で、2曲を比較すると、2箇所にわたって音楽の分節位置に顕著な相違が認められた。問題の箇所では、テクストの時間構造の同一性を損ねない程度ながら、平曲と幸若舞とで記述の姿勢が異なっており、平曲では出来事そのものに、幸若舞では事を成した人物に焦点が当たっていた。このことから、平曲と幸若舞は、同一の筋書きをそれぞれ「いつどこで何が起きたか」「誰がどのように行動したか」という異なった視点から整理しており、このために分節の意識にも自ずと違いがもたらされ、これが音楽の構造へ反映されていると考えられた。
 なお、記述姿勢の違いの原因として、幸若舞が武士階級に尊ばれた祝言性の強い芸能であるゆえに、個々の登場人物の美点を強調する傾向にあることが挙げられる。本研究は、こうした芸能の性格に起因する特徴的な物語解釈が、テクストの細部にとどまらず、音楽の全体的な構造にも大きく影響していることを示した。


安田文野(愛知県立芸術大学大学院音楽研究科博士前期課程 鍵盤楽器領域)

昭和初期におけるフランス音楽の受容について――紀元二千六百年奉祝楽曲発表演奏会におけるイベールの〈祝典序曲〉を中心に

 本発表は、発表者が平成27年度に愛知県立芸術大学大学院音楽研究科に提出した修了論文に基づいて行った。
 日本におけるフランス音楽の受容については、先行研究において、1920年代のアンリ・ジル=マルシェックスの来日をきっかけにフランス音楽が演奏会で演奏される機会が多くなったことなどが述べられてきた。しかし、日本が戦争に向かっていくという時勢の変化がフランス音楽の演奏面に与えた影響に関する研究を確認することはできなかった。
 そこで本論文では、『音樂世界』誌に掲載された演奏会に関する情報から、1929年から1941年にかけて演奏されたフランス音楽の傾向を明らかにし、その上で、1940年12月に政府主導で行われた紀元二千六百年奉祝楽曲発表演奏会を調査することにより、時勢の流れの中でフランス音楽の扱いがどのように変化したかについて明らかにすることを試みた。
 論文は2章から構成される。第1章:「『音樂世界』誌の演奏会の案内に見るフランス音楽の受容」では、1929年1月から1941年10月まで発行された音楽雑誌である『音樂世界』誌に掲載された演奏会に関する情報から、当時のフランス音楽の受容について調査した。第2章:「紀元二千六百年奉祝楽曲発表演奏会とイベールの〈祝典序曲〉」では、1940年12月に政府主導で行われた紀元二千六百年奉祝楽曲発表演奏会を調査し、『音樂世界』誌とその他の資料から読み取れる事柄について考察を行った。
 この研究により、1929年から1941年の間、フランス近現代音楽は日本人の手によって毎年演奏されてはいたが、第2次世界大戦へと向かうにつれ、演奏される作品の作曲者がシャルル・グノー Charles Gounod(1818‐1893)、セザール・フランク César Franck(1822‐1890)、カミーユ・サン=サーンス Camille Saint-Saëns(1835‐1921)、ジョルジュ・ビゼー Georges Bizet(1838‐1875)、ガブリエル・フォーレ Gabriel Fauré(1845‐1924)、クロード・ドビュッシー Claude Debussy(1862‐1918)、モーリス・ラヴェル Maurice Ravel(1875‐1937)など、当時の日本人演奏家のレパートリーとして定着していたと考えられる作曲家の作品に限られていき、フランス6人組など現代作曲家の作品が演奏される機会が少なくなったことが明らかになった。さらに、紀元二千六百年奉祝楽曲発表演奏会や、この演奏会について雑誌に掲載された批評の中に当時の時勢を反映させる内容が含まれていたことが明らかとなり、これらのことから、音楽界全体が戦争へと向かう政治の影響をはっきりと受けていたことを述べた。


<研究発表>

明木茂夫 (中京大学)

曾侯乙墓出土「朱漆描金篪」の形状と『爾雅・釈楽』「一口上出」の解釈について──『中国音楽史図鑑』の翻訳に際して気づいたこと

 曾侯乙墓から出土した二本の竹製朱漆描金横笛は、その一本が「笛」、いま一本が「篪(ち)」であるとされている。発表者はこのたび劉東昇他編著『中国音楽史図鑑・修訂版』(人民音楽出版社2008年)の日本語翻訳版を上梓した(科学出版社東京/国書刊行会2016年)。本発表では、本書の翻訳とそれに伴う調査の課程で得た「篪」の形式や形状に関する知見を紹介し、出土品を「篪」と見なすべき条件について考察した。
 本書は「篪」に関する古典的記述として漢の蔡邕の『月令章句』、『太平御覽』所引『五経要義』、『爾雅』「釈楽」の郭璞注の三つを挙げる。そして曾侯乙墓横笛の特徴として笛の両端が塞がれた「閉管」であること、吹き口と指孔とが同一平面上にないことの二点を挙げる。前者については『月令章句』の「有距」、『五経要義』の「有底」という記述がこれに当たるとしており、こちらは首肯し得る。一方後者については、「釈楽」郭璞注の「一孔上出」がこれに当たるとしているが、こちらにはやや疑問が残る。まず本書は「吹き口と指孔とが同一平面上にない(原文:吹孔和按音孔不在一個平面上)」と述べており、そのままでは意味が分かりにくいこと。さらに郭璞注の「一孔上出」は従来「吹き口が管の表面よりも突出している」と解釈されることが多かったのだが、曾侯乙墓横笛の外見は一本の竹管であり特に突出した部分はないことである。
 では本書は、曾侯乙墓横笛のどういった特徴を以て、郭璞注の「一孔上出」に当たると見なしたのであろうか。出土品の鮮明な画像や三面図などを参照した結果、この笛は、管表面の一部を平らに削って細長い平面を作り、その平面上に指孔が開けてあることが分かった。吹き口が指孔と同一平面上にない、ということはつまりこの平らに削った面とは離れた場所に吹き口が作られている、ということであり、本書の著者は郭璞注の「一孔上出」もこのことを述べていると解釈したのである。事実曾侯乙墓横笛の吹き口は、指孔を結んだ直線からかなりずれた位置に開口しており(管の断面中心との成す角で90度ほど)、この点からも指孔の並ぶ平面とは離れていると言える。現在孔子廟などで用いられている「篪」も同様に吹き口と指孔とは、ずれた位置にある。
 その一方で郭璞注の「一孔上出」は、一つの孔が管よりも飛び出していることと解釈されてきた。では実際にそのような形状の横笛は存在するのであろうか。北宋の陳暘の『楽書』巻一百三十「竹之属」には「義觜笛」と呼ばれる、吹き口が突起した横笛の図があり、「今の髙麗またこれを用う」と記されている。朝鮮半島の資料を見るに、『楽学軌範』巻之六「雅部楽器図説」には「篪」が収録されていて、その図には「ひょっとこ」の口のように突出した吹き口が描かれている。また前掲『楽書』「竹之属」には「七星管」という横笛の図が収められており、これには「十手」のような突起が描かれている。さらに、名称は不明ながら敦煌「莫高窟」の第158窟壁画にも「十手」のような突起を持った横笛が見える。今後は、特に突起を持たない閉管の横笛の「篪」とともに、突起を持つ形式の横笛についても、文献や実物資料を広く調査し、その形状や奏法について考察して行く必要があろう。