日本音楽学会中部支部 第131回定例研究会報告

日時:2021年(令和3年)7月10日(土) 13時30分~16時00分

開催方法:オンライン会議ツールZoomを用いた遠隔開催

司会:明木茂夫(中京大学)

内容:〈研究発表〉

1. 野中亜紀(愛知文教大学)
「古代エジプト第18王朝ツタンカーメン王墓出土の楽器
――音楽学とエジプト学の観点から」

2. 片山詩音(名古屋大学大学院人文学研究科博士後期課程、日本学術振興会特別研究員DC)
「書籍『花街と芸妓・舞妓の世界』刊行報告及び花街の芸能研究の展望について」


【発表要旨】

古代エジプト第18王朝ツタンカーメン王墓出土の楽器
――音楽学とエジプト学の観点から

野中亜紀(愛知文教大学)

 本研究の目的は、西洋音楽史の中でこれまで正しい位置づけをなされてこなかった、古代エジプトの音楽につき、エジプト学並びに音楽学の観点からその位置づけを行い、 新たな見解を付け加えることにある。そのため、音楽との結びつきが深かったとされる宗教が、古代エジプト史の他の時代とは異なるアマルナ時代を研究の対象に設定した。 そして中でも、副葬品が例外的に数多く残り、アマルナ時代の影響を多分に受けたトゥトアンクアメン(ツタンカーメン)王墓(KV62 号墓)出土の楽器を分析した。
 エジプト新王国時代の第 18 王朝(前 1550 - 前 1293 年ごろ)末のツタンカーメン王墓からは、3 種類の楽器(クラッパー、トランペット、シストラム)がそれぞれ2 点ずつ出土している。 これら 3 種類の楽器の演奏方法や用途を考察し、他の副葬品との関係に着目して分析を行った。その結果、アマルナ音楽の特徴を見出すことができ、また同時代の音楽は、 古代エジプト音楽史の中で1つのターニングポイントであった旨が明らかになった。
 同王墓より楽器が出土した部屋では、部屋毎に副葬品の共通性が見られることが明らかになった。付属室にはアマルナ時代などツタンカーメン王幼少期の品が、前室には生前に用いた日用品に加え、 埋葬儀式に関する品が副葬されたと考えられる。また、玄室には王が死後にオシリス神となる際に必要な復活の儀式に関する品が埋葬され、宝物庫は冥界を象徴する神々とアマルナ王族に関わる副葬品、 そして王が冥界に所持する品を納める部屋であったと考えられる。このような、各墓室の意味や機能について論じた研究はこれまでほとんどなされていない。
 また、同王墓から出土した楽器が「単音」楽器であることから、アマルナ時代の音楽は「単音」が主体であった旨を指摘するとともに、「単音」を意識した結果が、 古代エジプトの記譜法で重要とされるカイロノミーの消失に繋がった可能性を論じた。さらには、古代エジプト人が冥界に行く際に必要であると考えた「音」を反映した結果、 クラッパー・シストラム・トランペットの 3 種類の楽器がツタンカーメン王墓に副葬品として意図的に埋葬されたのではないか、と結論付けた。
 結論として、古代エジプト音楽が西洋音楽に与えた新たな影響として、単に記譜法や楽器の形態等の具現的なものだけではなく、楽器の持つ「概念」も引き継がれていることを述べた。 また、エジプト学においてはツタンカーメン王墓の新解釈を示すとともに、音楽学においてはアマルナ時代の音楽の特徴を解明するに至った。本研究により、 古代エジプト音楽は西洋音楽史のルーツである旨が明らかになった。



書籍『花街と芸妓・舞妓の世界』刊行報告及び花街の芸能研究の展望について

片山詩音(名古屋大学大学院人文学研究科博士後期課程、日本学術振興会特別研究員DC)

 本発表は、発表者が編者として調査・執筆を行った書籍『花街と芸妓・舞妓の世界ー継がれゆく全国各地の芸と美と技』の報告と、花街の芸能に関する今後の調査及び展望を示すことを目的とした。

[書籍での調査報告]
 本書は、全国の花街と芸妓・舞妓、その形態を支える職人や工芸、歴史と習俗、現状などを幅広く記録したものである。人類学や美術史、文化史など、様々な分野を専門とする若手女性研究者複数名が取材・執筆を行い、 芸妓・舞妓を長年撮影し続けてきたカメラマンによる写真を豊富に掲載し、2020年2月に誠文堂新光社より刊行した。前半では、花街そのものの概念と京都の五花街の概要や芸能の紹介、 芸妓・舞妓の装いとそれを支える職人・工芸に焦点を当てている。後半では、東京から6ヶ所、全国から13ヶ所の花街を取り上げ、それらの概要と芸能を紹介している。その中で発表者は、花街の芸能や行事の紹介と、 芸妓をはじめお茶屋や料亭の経営者等の当事者へのインタビューを実施した。
 本発表では、担当した部分からいくつか事例を紹介した。京都では、毎年開催される京都五花街合同公演「都の賑い」にて、五つの花街から流派がそれぞれ異なる芸妓・舞妓が一堂に会するという希少な公演や、 芸妓が演奏する三味線を手がける職人を取り上げた。また、東京では赤坂の舞踊公演「赤坂をどり」や、浅草の事例では、宴席にて話芸で場を取り持つ全国的にも数少ない職分の「幇間」、名古屋の独自の芸能、 大阪のお茶屋における芸妓の育成について述べた。
 これらの事例から、花街の芸能形態や披露される演目には地域の固有性が色濃く反映されていることや、その様態や行事が時代の変容に大いに影響されてきたことが明らかとなった。本書で記述した内容は、 各花街の歴史を集約したものであるとともに、平成の終わりから令和に至る現代の状況を記したものとなっている。同時に、刊行した時期が新型コロナウイルス感染拡大の足音が近づきつつあった時であり、 その後、花街を取り巻く状況は一変した。本書は、結果的にコロナ禍以前の花街の状況を伝える貴重な記録ともなった。

[今後の展望]
 現在のコロナ禍にて、花街は運営や存続、若手の育成が非常に厳しく、それに伴う芸妓・舞妓の減少や花街の休業、補償の不確定性という事態に直面している。また、 以前から抱える担い手の減少・高齢化等の伝承問題もより深刻化し、危機的状況に置かれている。こうした現状を踏まえると、決して一過性のものにとどまらない、多様な地域の事例の継続的な収集、 花街の舞踊公演や宴席にて繰り広げられる芸能を、音楽的・芸能的観点から総合的に考察する必要性があると考える。
 そのために、先行研究と分析方法について着目する。まず、先行研究では、花街を対象に地理学や経営学、民俗学、文化人類学の分野から論じられてきたが、 芸能を行う当事者の語りや芸能そのものに関する音楽的記述は少ない。そこで、花街の芸能を音楽的に分析する方法として、小泉文夫や細川周平が論じてきた民謡研究の分析方法が、 手法の一つとして用いられるのではないかと考える。彼らが述べた民謡研究が抱える比較観察等の留意点を検討した上で、花街の芸能研究に応用し、 口承の芸能を可視化した資料「採譜」として表す。さらに文化人類学における民族誌的記述から当事者の「語り」を収集する。この両者を組み合わせることによって、 花街史や日本芸能史に、花街の芸能を位置づけたい。
 今後、コロナ禍における花街の変化の中で、形態や芸能、風習について、保留されたもの・新たに発生したものに注視していきたい。そして、コロナ禍前後におけるそれらの変容を書き分け、 調査研究の成果を随時発信する。花街とその芸能文化の継承と、さらに発展的な未来を展望し得るような指針を提示することにより、社会的意義をもった研究として展開していきたいと念じている。