日本音楽学会中部支部 第130回定例研究会報告

日時:2021年(令和3年)3月21日(日) 13時30分~16時00分

開催方法:オンライン会議ツールZoomを用いた遠隔開催

司会:安原雅之(愛知県立芸術大学)

内容:〈教育フォーラム〉卒業論文・修士論文合評(実技系修了論文含む)


○卒業論文

木村彩乃(愛知県立芸術大学音楽学部作曲専攻音楽学コース)
「ピリオド鍵盤楽器の特性がピアノ作品に与えた影響
――ウィーン式アクションをもつフォルテピアノとロベルト・シューマンを事例に」

○音楽総合研究修了論文(大学院博士前期課程)

後藤成美(愛知県立芸術大学大学院音楽研究科博士前期課程作曲領域)
「ジョン・ケージの「ギャマット」と1940年代の作曲方法
――〈4部の弦楽四重奏曲〉を中心に」

長谷部りさ(愛知県立芸術大学大学院音楽研究科博士前期課程弦楽器領域)
「エルマール・ランプソンのヴァイオリン協奏曲について――分析と奏法の解釈」

菰田帆乃香(愛知県立芸術大学大学院音楽研究科博士前期課程鍵盤楽器領域)
「ピアノ演奏におけるオーケストラ的発想
――プロコフィエフによるオーケストラ編曲の分析とその再現を通じて」


○修士論文(大学院博士前期課程)

永井文音(愛知県立芸術大学大学院音楽研究科博士前期課程音楽学領域)
「シューマンの音楽批評における演出としてのダヴィッド同盟
――『新音楽時報』と『音楽と音楽家』の比較を通して」


【発表要旨】

 中部支部では若い研究者育成の一環として例年教育フォーラムを開催し、 この地域の大学と大学院に提出された音楽学関連の卒業論文・修士論文の要旨報告、ならびに会員による合評を行っています。 今回は新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、Zoomを用いたオンラインの開催となりました。各発表の要旨は以下のごとくです。 オンラインでの開催ながら活発な討論が行われました。ホスト校である愛知県立芸術大学の関係各位に感謝申し上げます。(明木茂夫記)


<卒業論文>

「ピリオド鍵盤楽器の特性がピアノ作品に与えた影響
――ウィーン式アクションをもつフォルテピアノとロベルト・シューマンを事例に」

木村彩乃(愛知県立芸術大学音楽学部作曲専攻音楽学コース)

 本発表は、卒業論文に基づきおこなわれた。
 ピアノは1700年頃に発明されたが、それは現代のピアノ(モダンピアノ)と比較して、打弦楽器であるという共通項こそもつものの、 構造や音色を異とするものであった(モダンピアノと構造が異なるピアノ全般を区別のため、本論文においてフォルテピアノと記載)。 その後現在の形が一般的となる19世紀末~20世紀初頭頃まで、ピアノは時代に合わせて変化を重ねてきた。 楽器の変遷の間にかかれたピアノ作品を作曲された当時のフォルテピアノで演奏すると、モダンピアノの演奏では表現しきれない音響効果を生み出すことがあり、 作曲家が本来意図したであろう音楽を知ることができる。本論文の目的は、この点に着目し、当時の楽器の特性という視点から作品を分析することで、 ピアノ作品が当時のフォルテピアノの特性に影響を受けていることを明らかにすることである。
 古典派の作曲家とフォルテピアノの関連を取り上げた先行研究は多く存在するものの、ロマン派の作曲家に関しては、 対象が一部の作曲家に留まっていた。それを踏まえ本論文では、ロベルト・シューマン Robert Schumann(1810-1856)と彼のピアノソロ作品に焦点を当てた。 フォルテピアノと関連した研究があまり及んでいない作曲家のうち彼に着目したゆえんは、彼が、モダンピアノの基礎となったイギリス式アクションをもつフォルテピアノが台頭した時代にもなお、 伝統的なウィーン式アクションをもつフォルテピアノを好んでいたことにある。この彼の楽器に対する顕著な好みは、同時代の作曲家のうちでも突出していた。
 本論文は全2章から構成されている。
 第1章では、分析視点となる楽器(フォルテピアノ)に注目し、シューマンの好んだウィーン式を中心にフォルテピアノの具体的な特性について概観した。シューマンの時代のフォルテピアノは、 歴史上ではよりモダンピアノに近いものとなっているが、構造そのものや音色にモダンピアノにはない特性が残されていることがわかった。また、 フォルテピアノが弾かれていた当時に出版された奏法に関する理論書を通して、モダンピアノを知ってからフォルテピアノをみた現代人の視点ではなく、 最新の楽器としてフォルテピアノに触れていた当時の人々の視点を再構築した。
 第2章では、第1章で指摘したフォルテピアノの特性をもとにシューマンの全ピアノソロ作品を分析した。第1節では、 他作曲家の作品を楽器の特性という視点から分析した先行研究を扱い、楽器の視点による作品分析の方法と実態を確認した。音の減衰や発音、 ペダルなどの特性が作品に影響しやすいことがわかり、分析の際に着眼すべき楽器の特性が明らかとなった。第2節ではシューマンのピアノ作品の特徴を述べ、 彼独特の書法をおさえることで分析の際に着眼すべき語法を明らかとした。第3節では、彼が生涯で使用したピアノを示し、彼がウィーン式を偏愛した事実を根拠づけた。 彼は、ウィーン式特有のタッチとその構造がもたらす音色を好んでいた。第4節で、実際にシューマンのピアノソロ作品の分析を実施した。 当時のフォルテピアノの特性を反映していると考えられ、複数の作品に共通してみられる語法を10に分類、提示した。また、クララ・シューマン編纂の全集版や初版譜を用いた考察もおこなった。
 結論では、シューマンのピアノソロ作品が、彼の好んだウィーン式フォルテピアノの特性を生かしていることを述べた。分析から、 彼がウィーン式フォルテピアノを使用していたからこそ生まれた語法があることが明らかになっている。この成果は、 これまで同時代の作曲家作品と比較して彼のピアノ作品が特徴的であるといわれていた理由のひとつに、彼の好んだ楽器が他の人とは異なってウィーン式であった、 という楽器の要因が加わることに繋がると考えられる。


<音楽総合研究修了論文>

「ジョン・ケージの「ギャマット」と1940年代の作曲方法
――〈4部の弦楽四重奏曲〉を中心に」

後藤成美(愛知県立芸術大学大学院音楽研究科博士前期課程作曲領域)

 本発表では、ジョン・ケージ John Cage(1912?1992)の1940年代の作曲方法や思考の推移と、〈4部の弦楽四重奏曲String Quartet in four parts〉に用いられた「ギャマット」のアイデアを中心に、 1950年代以降へつながる「ケージの作曲理念」についての考察を行った。初期に当たる1940年代には打楽器、プリペアド・ピアノの作品を多く作曲し、本論文で取り上げた〈4部の弦楽四重奏曲〉は、 1949年から50年にかけて作曲された。その後、1950年を境に、ケージを代表する作風でもある、偶然性や不確定性による作曲方法を押し進めていき、時代によって異なる作風を持っている作曲家である。 「ギャマット」は、1947年から1951年までの間という、ごく限定的期間に使用された作曲方法で、あらかじめ用意しておいた均質でない素材(それ自体を「ギャマット」と呼ぶ)の中から作曲者自身が選んでいく手法である。 「ギャマット」を用いることで、曲の進行から従来のような機能和声を無くし、静的な響きを作り出している。
 論文は全3章から構成されている。第1章では、ケージの「ギャマット」の定義や先行研究についての説明を行った。また、ケージが作曲する際に前提としていた作曲理念のことである、 4つの基本的なカテゴリー「4つの相(“構造”、“方法”、“素材”、“形式”)」の用語の意味を明確にし、作品へどのように反映されているかについて述べている。これら4つを、 作曲者の意志が介在するか、あるいは作曲者の意志なく反映されるものどちらに存在するのか、ケージはこれらのことを念頭に置いて作曲を行っており、 1940年代の作曲方法を説明する重要なキーワードとされている。第2章では、1940年代の作品傾向として多かった、打楽器、プリペアド・ピアノについて、さらに、ホットジャズ、モダンダンス、 東洋文化思想と触れたことにより、変化していった作品の特徴と思想について研究を行った。第3章では、実際に〈4部の弦楽四重奏曲〉の中で、「ギャマット」がどのように使用されたか先行研究を参照し、「4つの相」がどのように反映されているのかについて分析した上で、ケージの目指した音楽の方向性についてまとめた。 この「4つの相」の関係性が1950年以降、どのように変化するのか、ケージがどのような関係性を目指したのかについて、直後に作曲された1951年の〈4分33秒〉では、「4つの相」のうち「構造」を残し、 残りの3つはケージの意志は取り払われてしまっている。〈4部の弦楽四重奏曲〉の段階では、「形式」のみが作曲者の意志なく反映されるものとして作用しており、 こちらはまだケージの目指した完全形ではないことが分かった。これらの考察から、4つのカテゴリーにおいて1950年以降では、作曲者の意志なく反映されるものへ向かうために、 「ギャマット」という作曲方法を変更することで、ケージは「音」を「音」として解放すること目指したのではないかと考える。〈4部の弦楽四重奏曲〉に現れる、音が浮遊している感覚そのものは、 プリペアド・ピアノの音色に近いものから、1951年に作曲された〈易の音楽〉による平坦で静的な響きまで含まれている。したがって、本研究では、「ギャマット」を用いた作曲は、 1940年代の作曲理念における完成形ではなく、作曲者自身の意志をコントロールする上での発展途中の作曲方法であり、1950年以降の方向性を決定する重要な役割を持っていたといえる。


「エルマール・ランプソンのヴァイオリン協奏曲について――分析と奏法の解釈」

長谷部りさ(愛知県立芸術大学大学院音楽研究科博士前期課程弦楽器領域)

 本論文は、エルマール・ランプソン Elmar Lampson(1952-)の〈ヴァイオリンとオーケストラのための協奏曲 Konzert fur Violine und Orchester〉を対象に、この作品を演奏者の立場から考察することを目的とした。 この作品は 2019年10月3日に第52回愛知県立芸術大学音楽学部定期演奏会において、矢澤定明指揮、愛知県立芸術大学学生オーケストラによって演奏され、発表者がソリストを務めた。発表者はランプソンが目指す音楽を読み解きたいと考え、 演奏に際して気づいたことや楽譜と対峙して詳細な楽曲分析を行ったことをまとめ、さらに、作曲者であるランプソン本人から直接得られた概要と解説をもとに、この作品についての考察を行った。
 研究方法としては、ランプソン自身によって提示された作品の構成とモティーフを基に、発表者がさらに細かく独自に音型とフレーズを見出して楽曲の分析を行なった。この分析をふまえて、奏法の解釈を論じている。
 論文は3章からなる。第1章ではランプソンのヴァイオリン協奏曲についての作品概要とランプソンによる作品の構成と解説をまとめ、第2章では音型とフレーズの分析を行った。第3章では奏法の解釈を論じ、結論をまとめた。
 ランプソンはこの作品を今日の現代音楽の趨向に従うのではなく、音楽的な表現と素材の変化を純粋に構成した作品だと捉えている。発表者はランプソンとのメールのやり取りを通じて、本作品の構成について解説していただいた。以下はその引用である。

  このコンチェルトでは、発展や再現などの伝統的な概念は機能していない。[中略]作品全体は「モティーフのプール」に基づいて構成されている。すべてはこれらのモティーフの変化と発展によって起きる。 (2019年1月13日付のメール)

また、ここでいう「モティーフのプール」について、ランプソンは「作品全体に散りばめられたモティーフのことである。これらはすべて繋がった関係性を持っているため、『モティーフの網』と呼ぶことができる」 (2019年5月29日付けのメール)と述べている。
 これらの解説を受け、「モティーフの網」の構造を紐解くために、発表者は独自に7個の「音型」とAからKまでの11個の「フレーズ」を見出した。
 結論としては、これらの分析とその分析から奏法の解釈を考察した結果、この曲では半音と全音の関係が「緊張」と「弛緩」を表している。ランプソンが提示した一つずつのブロックの中で、「音型」と「フレーズ」が形やリズム、 音程を変えながら繋がることで、その「緊張」と「弛緩」が繰り返される。また、そのブロックごとの「緊張」と「弛緩」の規模が次第に変化することで、作品全体の繋がりが作り出されることが分かる。したがって、これらのことから、 ランプソンの説明の中にあった「モティーフの網」とは、共通する素材で繋ぎ合わされ、「緊張」と「弛緩」を繰り返す柔軟さを持った大きな網と結論付けることができる。客観的に捉えると、この作品は素材の整合性と柔軟性によって全体が繋がり、 自然の温度と豊かな表情を生む。そして、この作品は全体を通して統一された調性が存在しないため、ソリストはソロパートの旋律の音程関係に感覚を研ぎ澄ませ、 オーケストラの楽器編成とそれらのダイナミクスが場面ごとにどうなっているかを熟知した上で演奏する必要があると言える。。


「ピアノ演奏におけるオーケストラ的発想
――プロコフィエフによるオーケストラ編曲の分析とその再現を通じて」

菰田帆乃香(愛知県立芸術大学大学院音楽研究科博士前期課程鍵盤楽器領域)

 ピアノを演奏するときでもオーケストラ的な発想を持つことが大切である、と書いているエッセイやピアノ教則本は多くある。しかし、オーケストラ的発想をどのようにして演奏に活かすのかについて言及したものは多くはない。
 本発表は、オーケストラ的発想をピアノの演奏にどう活かすことができるのかについて、原曲と作曲家自身による編曲作品との比較を通じて分析を試みた本論文に基づいている。演奏者は、 楽曲の表現を豊かにさせるために作曲家の音へのイメージを理解し、ピアノ譜を読んでいかなければならない。セルゲイ・プロコフィエフSergey Prokofiev(1891-1953)の作品には、 自身によってピアノから管弦楽へと編曲された作品があるので、その音のイメージを捉えやすいと感じる。オーケストラ的発想を持つことによって、感覚的なイメージであった音色やフレーズの捉え方等を見える形 (楽譜におこす)にして、具体的なイメージを持てるようになることが本論文の目的である。
 方法としては、プロコフィエフがどのようにオーケストレーションを行っているのかを知るため、プロコフィエフの作品と、それを別の楽器に自身が編曲した作品の比較を行った。どの楽器で演奏され、 どのようにパートが割り振られているのか等について比較していく。その比較から、ピアノではどのようなオーケストラ的発想を持って演奏できるのかを考察した。この考察を活かし、第3章「オーケストラ的発想の応用」にて、 プロコフィエフのピアノ作品〈トッカータToccata〉作品11を冒頭から最後まで、筆者がオーケストレーションを行い、スコア譜におこした。これは、作品をどのように捉えたら演奏がしやすくなるのか等、 曲のイメージを可視化することができるため、スコア譜におこす作業を行った。そのスコア譜は付録にして論文の最後に提示をしている。
 本論文は全3章から構成されている。
 第1章「プロコフィエフの人生と編曲」では、編曲作品が多く作られていた時期に焦点をあてプロコフィエフの生涯とピアノのための編曲作品をまとめている。第2章「ピアノでのオーケストラ的発想」では、 プロコフィエフの原曲4作品とそれぞれの編曲4作品を比較し、どのようなオーケストレーションがされているのか、またそれをどうピアノ演奏に活かせられるのかについてまとめた。 第3章「オーケストラ的発想の応用」では、第2章で行った比較からわかったオーケストラ的発想が、どのように見える形にできるのか、プロコフィエフのピアノ曲〈トッカータ〉作品11を取り上げ、 検証している。
 結論では、大きく分けて「音色」「音型」「音量」の3つの点において、オーケストラ的発想をピアノの演奏に活かすことができることが明らかになった。音色の点では、 感覚的なイメージであった音色を他の楽器の音でイメージすることによって、音の作り方を具体的に捉えることができる。音型の点では、ピアノ譜のみでは複雑に見えるパッセージを、オーケストラ的発想を持って読むことで、 複数のパートや複数の楽器に分けることができ、音型の単純化ができる。そして、その分けられたそれぞれの旋律から新しいメロディーラインを見つけることができ、作品の表現の幅が広がっていく。 音量の点では、その部分がどのくらいの人数によって演奏されているのかを考えることで、どのようなイメージの音量なのか明確に設定することができる。同じフォルテでも一人で演奏するフォルテなのか、 多数でのフォルテなのかで音の印象が変化する。
 以上の点から、オーケストラ的発想を持つことは、作品をより深く理解することができ、表現豊かな演奏に繋げることができる。


<修士論文>

「シューマンの音楽批評における演出としてのダヴィッド同盟
――『新音楽時報』と『音楽と音楽家』の比較を通して」

永井文音(愛知県立芸術大学大学院音楽研究科博士前期課程音楽学領域)

 ロベルト・シューマン Robert Schumann(1810-1856)は、作曲家であると同時に、音楽新聞『新音楽時報 Neue Zeitschrift fur Musik』を創刊した音楽批評家でもある。 彼は1834年に同新聞を創刊し、その10年後に編集部から引退するまで、記事の執筆者としてはもちろん、新聞の編集長としての職務も果たした。
 『新音楽時報』でシューマンが執筆した記事は、彼自身の手によって抜粋・編集され、1854年に著作集『音楽と音楽家 Gesammelte Schriften uber Musik und Musiker』として出版された。 この著作集は、抜粋版という特性からか、これまで研究対象として注目されることがほとんどなかった。シューマンの批評活動についての先行研究では、原典である『新音楽時報』のみが研究対象として扱われ、 シューマンの伝記のなかでも『音楽と音楽家』についてはほとんど触れられず、出版年などの基本的な情報がまとめられるに留まっている。
 しかし、実際に『新音楽時報』と『音楽と音楽家』を比較してみると、記事の順番や本文中の表現などに、いくつかの修正があることがわかる。すでに述べた通り、 シューマンは『音楽と音楽家』の出版に当たって、みずから編集作業をおこなっていたため、それぞれの変更点には彼の意図が反映されていると考えられる。
 今回発表した修士論文は、『新音楽時報』と『音楽と音楽家』の間にあるちがいを分析することで、批評家であり編集者でもあったシューマンの戦略を明らかにすることを目的としている。 なお、考察の際には、彼の特色がもっとも色濃くあらわれている「ダヴィッド同盟 Davidsbundler」による記事を中心に扱う。
 論文全体は全3章から成っている。
 第1章では、『新音楽時報』と『音楽と音楽家』の成立過程について概観した。シューマンは『新音楽時報』で書いた記事をみずから抜粋・編集し、 1854年に『音楽と音楽家』を出版した。本書の出版をめぐるシューマンと出版社とのやりとりについては、書簡集に未収録の手紙を引用しながら整理した。手紙からは、 シューマンが出版までに多数の相手と交渉を重ねていたことが読みとれ、著作集出版に対する彼の強い思い入れがうかがえる。
 第2章では、『新音楽時報』と『音楽と音楽家』の収録内容について比較をおこなった。『音楽と音楽家』には、シューマンが『新音楽時報』で執筆した344記事のうち、 271記事が収録されている。『音楽と音楽家』の前書きのなかには、文章が「[『新音楽時報』で掲載した]年代順に編集されている」という記述がみられるが、実際に両者を比較してみると、 ところどころで本来とは異なる並び順があらわれるという結果になっている。くわえて、ダヴィッド同盟関連の記事にかんしては、上述の事情とは無関係の並び替えがおこなわれていることがわかった。
 第3章では、ダヴィッド同盟による記事の精査をおこない、特に第2節では『新音楽時報』と『音楽と音楽家』の間にある相違点に注目することで、シューマンの戦略について考察した。
 シューマンは、ダヴィッド同盟、特にオイゼビウスとフロレスタンの視点を借りることで、自身の複雑に絡まりあった意見をわかりやすく伝えることを狙っていた。それと同時にダヴィッド同盟は、 『新音楽時報』に対する読者の興味を惹くための一種の演出でもあった。シューマンは『新音楽時報』において、彼らを実在する団体のように扱い、その正体(つまり、架空の存在であること)については長らく明かさなかった。 友人ツッカルマリオに宛てた当時の手紙からは、シューマンがこうした試みを戦略的におこなっていたことが読みとれる。対して『音楽と音楽家』では、媒体が音楽新聞から著作集に移ったことを意識してか、 ダヴィッド同盟の正体は前書きの時点で明かされてしまっている。第2章で触れた記事の順番の変更や、本文内の修正・カットは、同盟の役割のちがいが反映された結果としてあらわれたものである。
 シューマンの批評文は、ダヴィッド同盟によるものをはじめとして、その革新性や詩的な面が目立つ。さらに、こうした傾向はシューマンの気質や文学の趣味と結び付けられることが多い。 しかし本研究での考察からは、シューマンが「読者に気に入ってもらう」という明確な意図を持ったうえで、ダヴィッド同盟を演出として利用していたことが明らかになった。