第111回例会報告

日本音楽学会中部支部 

日時:2014年(平成26)7月12日(土)13:30~16:30
愛知県立芸術大学内 室内楽ホール


司会:安原雅之(愛知県立芸術大学)

【研究発表】
 小中ひかり:「近代日本におけるグリーグの音楽の受容」

【修士論文】
 片山詩音:「胡弓の研究―富山県民謡《越中おわら節》を事例として―」

【講演】
 関口時正(東京外国語大学名誉教授):「ロマン主義に抗うショパン」



【発表要旨】

小中ひかり

近代日本におけるグリーグの音楽の受容

 本発表は、発表者が2013年度に大阪大学大学院文学研究科へ提出した博士論文「近代日本におけるグリーグの音楽の受容」に基づく。本研究の主な目的は、ノルウェーの作曲家エドヴァルド・グリーグの音楽が明治期から昭和初期の日本においてどのように受容されたのかを、演奏、雑誌記事、書物、楽譜、SPレコードなどの調査を通じて論じ、受容の面から彼の作曲家としての意義を考察することである。論文の目次は次のとおり。

序論
第1部 明治期におけるグリーグの音楽の演奏とグリーグに対する評価
第1章 グリーグの音楽の演奏
第2章 グリーグに関する雑誌記事――国民楽論争をめぐって
第2部 大正・昭和初期におけるグリーグの音楽の普及
第3章 グリーグの音楽の演奏・楽譜出版・SPレコード生産
第4章 ノルウェー出身の東京音楽学校教師ハンカ・シェルデルプ・ペツォルト
第5章 グリーグに関する雑誌記事
第6章 グリーグに関する著作
結論
付録
1. 明治・大正・昭和初期の日本でグリーグの音楽が演奏された演奏会と曲目
2. 日本で出版されたグリーグに関する著作および音楽雑誌記事等
3. 日本で出版されたグリーグの楽譜
4. 日本で生産されたグリーグのSPレコード
5. 小松耕輔「理想的國民樂」
6. ハンカ・シェルデルプ・ペツォルトに関する資料・データ
参考文献

 明治期を扱う第1部では、グリーグがまだ50歳前後の1890年代に日本で始まった彼の音楽の演奏と、20世紀初頭に始まった彼に関する雑誌記事に注目する。グリーグを論じた記事で発表者が見つけた最も早い例は、1906年3月発行の『音樂新報』に掲載された小松耕輔による「理想的國民樂」である。西洋音楽の普及に力を注ぐ日本がこれからどのような音楽活動を展開していくべきかという、当時の音楽界における重要な議論の中で、小松がノルウェーにおける国民楽の樹立に成功したグリーグを西洋音楽受容のモデルとしてとらえたことは特に強調しておきたい。小松をはじめ、明治期の日本の専門家たちは、グリーグがドイツの音楽を基礎に民謡などの影響を受けながら独自の様式による音楽を生み出し、それを国民的なものであると同時に個性的なものとして、ノルウェーの国外に向けて、ヨーロッパの楽壇で提示できた、というところに大きな意義を見いだした。
 大正・昭和初期を扱う第2部では、グリーグの音楽の演奏に加えて、大正期に始まった日本の出版社による彼の楽譜や国産SPレコードにも注目し、さらに、グリーグ受容に少なからぬ影響を与えたであろうハンカ・シェルデルプ・ペツォルトの章も設けている。ペツォルトはノルウェー出身でドイツ人と結婚した音楽家で、1909年に来日して1924年まで東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)で声楽とピアノを教え、1937年に亡くなるまで日本に住み、日本における西洋音楽教育に尽力した。三浦環や柳兼子や関鑑子らの優れた歌手やピアニストを育てる一方で、演奏家としても華やかに活動し、高い評価を受けた。ペツォルトは日本の音楽界において重要な役割を果たしたにもかかわらず、現在ではその功績はほとんど忘れ去られてしまっており、今後もっと研究されるべき人物である。ペツォルトはグリーグと縁の深い芸術一家シェルデルプ家の出身で、グリーグの音楽はもちろんレパートリーの一部であった。ペツォルトは1912年の《ピアノ協奏曲》日本初演でソリストを務め、また〈ソルヴェイグの歌〉をはじめとする歌曲やピアノ曲を多数演奏し、おそらく教育の材料にもこれらを用いた。グリーグの音楽が日本の演奏会のレパートリーとなり、彼の楽譜やSPレコードが多数出たことは、ペツォルトの演奏・教育活動と無関係ではないだろう。
 日本で最初のグリーグ伝は1925年の小泉洽による『グリーグとその音樂』で、これはヨーロッパ周縁国出身の作曲家の伝記としては非常に早いと言えるが、音楽史書や作品解説書などでは大正期の初め頃からグリーグが取り上げられ、その音楽の多様な特徴が記述された。その中で、田邉尚雄が早くも1915年の著書『西洋音樂講話』で、ノルウェー特有の風土が反映された民俗音楽の独自性を重んじ、グリーグの音楽にその民俗音楽の色彩がよく現れていることを、固有の国民的思想の表現に努めた結果であるとして高く評価したことは、特筆すべきである。そして同じく1915年に、大田黒元雄は『バッハよりシェーンベルヒ』で、グリーグの音楽の親しみやすさ、優れた旋律と色調、変化に富む表現といった個性を最大の特徴ととらえた。田邉と大田黒の視点は対照的だが、日本の音楽学研究および音楽評論の草分けである彼らがグリーグについて好意的な言葉を残していたことは注目される。
 近代日本におけるグリーグ解釈には、アメリカの音楽史家ヘンリー・フィンクの影響があったということも見逃せない。フィンクはグリーグにほぼ1章をあてた歌曲に関する著作を1900年に、そしてグリーグの伝記を1909年に出版し、前者は前田春聲によって翻訳され、『泰西の歌曲と其作曲家』のタイトルで1921年に出版された。この本の中でフィンクはグリーグをシューベルトに次ぐ歌曲作家と位置づけ、その音楽の斬新さを強調した。そしてグリーグの音楽における民族性よりも個性を、とりわけ独自の旋律と和声から繰り出される気分を重要視した。フィンクの著作は、グリーグを深く学ぶ当時の日本人にとって主な参考書になっていたようであることが、彼らのグリーグ解釈からわかる。
 調査を通じて、近代日本において積極的だったグリーグ受容の詳細が明らかになると同時に、現代日本における受容との違いが浮き彫りになった。戦後の日本においては、グリーグはノルウェーを代表する国民楽派の作曲家と位置づけられるものの、ロシアなどの国民楽派の作曲家に比べて民族的な性格は穏やかだとされて軽視されるなど、音楽学者の間で低い評価を受けてきた。しかし戦前においては、グリーグの音楽は以上のような様々な要因があって積極的に受容され、日本の音楽界に確かな存在感を示していたと言える。


片山詩音

胡弓の研究―富山県民謡《越中おわら節》を事例として―

 本発表は、発表者が2013年度に名古屋大学大学院文学研究科に提出した修士論文に基づいて行った。
 日本の伝統楽器の中で唯一の擦弦楽器として胡弓がある。現在は、歌舞伎や文楽、地歌などの伝統芸能や民俗芸能等でわずかながら用いられている。胡弓は、先行研究では起源や伝播などの歴史的経緯や伝統芸能を中心に記述され、楽器の音色の特性や実態はあまり着目されていない。そのため発表者は、現在胡弓を用いる数少ない民俗芸能である「おわら風の盆」で演唱される民謡《越中おわら節》を調査対象としてフィールドワーク行った。「おわら風の盆」は、富山市八尾町において毎年9月1日から3日までの三日間、三味線、胡弓、太鼓から成る地方、唄い手と囃子手による「越中おわら節」の演奏と歌唱のもと、着物や法被に編笠を被った男女の踊り子が踊る行事である。「おわら風の盆」に関する研究では、行事としての宗教性や観光面に焦点が当てられてきた傾向にある。また、《越中おわら節》に関しては唄の採譜を中心として考察されてきたため、演唱の現状はあまり明らかではない。このように、実際の演唱の現場に基づき、楽器の特性について考察を行う必要があると考えられる。
 そこで重要となることは、民俗音楽研究で用いられてきた分析方法である。楽器はその形状や演奏法による分類で、一方演奏は採録され採譜化されるといった方法で分析されてきた。この方法では、楽器形態や演奏の基本形を抽出することは可能である。しかし、演奏時に発生する即興性や可変性については、採譜作業の中ですべて譜上に表すことは困難である。さらに、その作業の中で小泉文夫(1958 『日本傳統音楽の研究Ⅰ』音楽之友社)が挙げたように、採譜者の主観性や採譜の絶対化が発生すると考えられる。これらの点を踏まえ、採譜を方法の一つとして捉え、自ら採譜採録を行った。それと共に、「おわら風の盆」に携わる演唱者への聞き取り調査、及び伝承過程の参与観察を実施した。このように分析方法では、胡弓の音色上の特性について、演唱者を中心とした演奏表現の民族誌的記述、及び採譜資料を照らし合わせ、検討する試みから明らかにすることを目的とした。
 《越中おわら節》は、起源とされる元禄期後、特に明治から昭和初期にかけて、地域の祝賀会や共進会等の行事と共に披露されるたびに、芸術家による踊りや唄の歌詞の創作が行われてきた。この変遷から、《越中おわら節》は演舞や歌唱に重点を置いた改良を経てきたことが分かる。こういった経緯を持つ演唱について、当事者への聞き取りから、唄の歌い方が多様であるため、楽器演奏は歌唱に添って行っているということが考えられた。それにより胡弓は、歌唱を際立たせるものとして演唱を支える役割にありつつ、弓で弦を擦るという演奏法による音の持続性といった特色も持つとされる。一方、採譜作業では、先行研究においては不十分であった歌唱と楽器演奏の採譜化を行った。その譜面による演唱の構造と、聞き取りで得た歌唱及び演奏の特徴との比較によって、楽器の音色上の特性について互いに補完し考察した。
 このように、それぞれの分析方法を照らし合わせることには、楽器の特性を言語化する難しさや、採譜による平均化、主観の発生など課題は存在する。音色上の特性について、民族誌的記述及び採譜作業をさらに発展させていくことによって、その多様性と共通性から明らかになるであろうと考える。



【講演要旨】


関口時正(東京外国語大学名誉教授)

ロマン主義に抗うショパン

 ショパンは謎の多い音楽家だ。よくわからない、難しいという声を「まじめな」ピアニストたちの口から聞いたりもする。たしかに同時代の音楽家に比べるとショパンは「異様」な面があまりに多い。同じポーランドの作曲家シマノフスキは、ショパンはロマン主義を超えたモダニストだと言った。それはショパンの音楽についての表現だったが、私はむしろショパンの人間に焦点をあてて、彼がロマン主義者でなかったということを説明したい。