第108回例会報告

日本音楽学会中部支部 

日時:2013年(平成25)7月20日(土)13:30~16:30
愛知芸術文化センター 12階 アートスペースE、F


司会:水野みか子(名古屋市立大学)

【研究発表】
 加藤いつみ:一節切尺八で吹かれた江戸初期の”はやり唄”の復元 『糸竹初心集』より

 愛知県立芸術大学「鈴木政吉プロジェクト」チーム(代表:井上さつき、学生メンバー:七條めぐみ、鈴木春香、畑陽子、オブザーバー:小沢優子)
『名古屋新聞』の音楽記事索引のデータベース化に向けて―中間報告(2)大正期の演奏会記事データの公開―

【レクチャー】
 マイケル・シェリー Michael Schelle (バトラー大学[米インディアナ州]教授)
The Influence of Japanese Film and Film Music on American Cinema, and Vice Versa.
[アメリカ映画にみられる日本の映画と映画音楽の影響、あるいはその逆]



【発表要旨】

加藤いつみ

一節切尺八で吹かれた江戸初期の”はやり唄”の復元 『糸竹初心集』より

1.はじめに
 筆者は、第108回の例会にて上記のテーマで発表した。その内容は、江戸初期に一節切尺八(以下一節切と略記)で吹かれたり、伴奏されたりした“はやりの唄”(流行歌)を一定の原則に基づいて復元し、一節切・琴・三味線の3つの楽器で演奏を試みたことである。今回紹介した“はやり唄”は、『糸竹初心集』(1664寛文4)の中に収められており、当時の人が奏し、歌った曲である。どの曲も、当時流行した曲であるので、室内のみならず、野外で酒を酌み交わしながら奏し、歌い、踊ったりしたのであろう。
 ところがこれらの曲の表記は、唄の歌詞とそれぞれの楽器の音の高さに対する譜字が記されているのみであり、長さについての記載は一切されていない。日本音楽の伝承の多くが口伝であったため、楽譜は備忘録的な存在に過ぎなかった過去においては当然なことであるが、長さの表記が無いとどのような旋律で歌っていたのかわからない。そこで筆者は、『糸竹初心集』より「吉野の山」「近江おどり」の2曲を選び、一節切・琴・三味線の3つの楽器に付けられた音高の譜字を突き合わせることにより、節回しを作っていった。この曲集は、音高が表記された近世邦楽の最古のものであり、当時の音楽や諸々の情報を知るための貴重な資料である。
 次のような手順で研究を進めた。

2.作業の手順
 この研究に取り組むに当たり3人の方から直接的な指導、間接的な影響を受けた。一人は、故月溪恒子教授(大阪芸大)である。月溪氏からは、一節切の旋法であるフホウエヤリヒで書かれた譜字を五線に直す作業・・これが一番基本的な作業である・・手ほどきを受けた。2人目は、故林謙三教授(奈良学芸大学)である。林氏が学内研究紀要(1958)に書かれた「江戸初期俗謡の復元の試み」の論文を参考にさせていただいた。林氏は、『糸竹初心集』に収めてある證歌(しょうが)14曲を旋律化して五線で表記されている。氏からは、節回しを作成すための基本原則を学んだ。また、故町田嘉章氏からは、実際にレコーディングされた「いせ踊り」「海道くだり」「近江おどり」などの“はやり唄”を聞いて、その表現の仕方を学んだ。筆者は、これらの先人の築いた研究に自身の課題である江戸期の人が歌った唄や器楽曲の復元を重ねた。

3.基本原則
 節回しを作成するに当たり、次のような基本原則を作った
 ①拍子は2拍子か4拍子とする。
 ②歌詞の一文字に4分音符を充てる。
 ③産字(うみじ)には8分音符を充てる。
 ④歌詞は原則的には4文字で1小節、または3文字で1小節とする。
 ⑤一節切、琴、三味線が同じような旋律線になるように配置する。
 ⑥3つの楽器の音高を比較するに当たり次のような対比表を用いた。

譜例1.『糸竹初心集』における琴・三味線・一節切の譜字と音高の対照

 出典:月溪恒子編『現代日本社会における音楽(2008年放送大学教材)』
 *月溪氏の教材ではと表記されているが『糸竹初心集』ではとなっている。

上の表は、一節切フホウエ、琴一二三四、三味線サシトツの譜字をそれぞれの楽器の音と対照させたものである。

4.復元譜
 下記の「吉野の山」は、上記の原則に基づいて、一節切、琴、三味線の3声部を復元させ、五線表記したものである。

  譜例2. 復元譜「吉野の山」


第1声部は一節切、第2声部は琴、第3声部は三味線である。この歌の意味は、<吉野の山に雪が降っているかと思えば、雪ではなく桜吹雪が舞っている。>というものである。江戸期の人々もこのような美しい自然を描写した唄を歌っていたのであろう。このような上品な歌詞を持つ唄が流行歌として、人々に好まれ、歌われ、踊られていたのかと想像するにつけ、江戸期の人たちの感覚が現代の我々にも少なからず受け継がれていることを覚える。

以上、『糸竹初心集』の中に収められた唄から一節切で吹かれた江戸期の“はやり唄”の一部を紹介してきた。すでに滅んでしまった曲を甦らせることは推理の域も多分に込められていることは否めない。しかし、今回の復元試行で350年程前はこのような節回しで歌っていたのではないか、という程度の紹介はできたのではなかろうか。


愛知県立芸術大学「鈴木政吉プロジェクト」チーム(代表:井上さつき、学生メンバー:七條めぐみ、鈴木春香、畑陽子、オブザーバー:小沢優子)

『名古屋新聞』の音楽記事索引のデータベース化に向けて―中間報告(2)大正期の演奏会記事データの公開―

 愛知県立芸術大学「鈴木政吉プロジェクト」チームは現在、『名古屋新聞』に掲載された音楽関連の記事を収集・データベース化する作業を進めている。本発表では、大正期の演奏会に関する記事をまとめた索引データベースが愛知県立芸術大学芸術情報センター図書館ホームページより公開されたのを機に、データベースの内容と本プロジェクトの意義・見通しを述べた。

1.「鈴木政吉プロジェクト」の意義
 「鈴木政吉プロジェクト」は、愛知県立芸術大学の井上さつき教授を中心として、学生メンバー数人とオブザーバーの小沢優子氏で結成された研究グループである。当初はヴァイオリン王鈴木政吉の資料調査のために、『名古屋新聞』に掲載された鈴木政吉および鈴木ヴァイオリンに関する記事を収集することを目的としていた。しかし、調査を進めるうちに、新聞紙面を1ページずつ見ていく地道な作業の成果を公開することで、様々な用途に役立てることができるのではないかと考え、音楽記事全体を収集する方針に切り替えた。
 戦前の新聞記事については、朝日新聞や読売新聞いった全国紙を中心に電子化が行われているが、音楽に特化した新聞記事索引は数少ない。たとえば『東京日日新聞音楽関係記事集成』『同 記事内容注解・人名索引』(日本近代洋楽史研究会編、大空社、1995年)は音楽関連の記事をまとめているが、東京の記事に限定しており名古屋の情報を拾うことはできない。一方、愛知県の戦前の新聞は、『中日新聞』とその前紙にあたる『新愛知』や『名古屋新聞』をはじめとして、電子化もデータベース化もされていない。このように、近代日本音楽史は東京中心に記述されることが通常であり、地方都市での音楽生活の実態については、いまだ踏み込んだ研究がほとんどなされていない。本プロジェクトは、戦前の名古屋においてどのような音楽生活が営まれていたのか、新聞記事を通してその全体像に迫ることを目的としている。特に、洋楽受容だけでなく他の音楽分野についての記事も調査の対象とすることで、さまざまなジャンルの音楽が総合体として名古屋の音楽生活を豊かにしていたことが具体的に明らかになるだろう。そして、記事索引を公開することによって、データベースの情報が広く共有され、名古屋の音楽文化についての調査・研究の進展に寄与することをねらいとしている。

2.データベースの内容と公開までの経緯
 「鈴木政吉プロジェクト」は、名古屋市鶴舞中央図書館に『名古屋新聞』の縮刷版が収蔵されたのを機に、2012年2月に大正期の音楽記事の収集を始めた。調査開始と同時に、愛知県立芸術大学芸術情報センター図書館に調査方法について相談するとともに、記事索引のデータベースを公開する意思がある旨を伝えた。その後、2012年4月から収集した記事の分類および索引の作成に取り掛かった。2013年度には公開に向けて図書館と具体的な協議を重ね、7月10日に図書館のホームページから試行版が公開された(以下のURLを参照されたい http://www.aigei-library.blogspot.jp/p/kijisakuin.html)。
 現在公開しているのは、大正時代の演奏会に関する記事の索引、すなわち記事の見出しをまとめた一覧表である。ホームページ上ではデータベースそのものの他に、プロジェクトの趣旨を述べた文書と閲覧の手引きを掲載し、実際の記事にアクセスする方法として愛知県図書館と名古屋市鶴舞中央図書館へのリンクを貼っている。また、今後数件の記事の画像を掲載し、実際の紙面の様子を紹介する予定である。データベースは、以下の原則に沿って作られている。

 ①収録対象範囲は音楽に関係する記事
 ②記事見出しを表示し、メモ欄にて補足説明をする
 ③件名(テーマ)の設定は、演奏会、鈴木ヴァイオリン、広告、その他とする
 ④索引の並び順は年代順とする
 ⑤備考欄を設け、記事の内容に合わせて洋(洋楽)、邦(邦楽)、軍(軍楽)、雑(洋楽と邦楽の混合)、不(不明)という表示をする
③のその他については、楽器の紹介や演奏家・音楽作品についての評論を指す。⑤の不明については、演奏会で記事からはプログラムを判別できないものなどを指す。

3.課題と今後の見通し
 音楽記事のデータベース化を行う中で、記事の見落としがあることや、日本伝統芸能やラジオ放送のプログラムなど、データベースに収録する記事の範囲を定めるのが困難といった課題に直面した。データベースの内容がさまざまなテーマ性を含むものであるだけに、新聞社や各方面の研究者とも連携しながら進めていくことが必要だろう。
 本プロジェクトは今後、以下の点を中心に展開する予定である。

 ①大正期演奏会データベースの更新
 ②大正期の他テーマのデータベースの作成と公開
 ③明治期、昭和期の『名古屋新聞』の調査とデータベース化

 ①については、演奏会記事の見落としがないか、紙面を調査し直して索引を補完し、ホームページ上に掲載するデータベースが常に最新のものとなるよう配慮する。②については、大正期の鈴木ヴァイオリン編、広告編のデータベースの公開を予定している。また、評論などの記事を対象とした新たなテーマの設定も検討中である。③ついて、明治期の音楽関連記事はすでに収集済み、昭和期の記事は現在収集中である。これらを順次データベース化し、公開するつもりである。さらには、『名古屋新聞』だけでなく『新愛知』の音楽関連記事のデータベース化を行う必要性も感じている。そうすることで将来的には、複数の新聞を幅広い年代にわたって調査することで、名古屋の音楽生活がどのように移り変わってきたのか、より詳細な所まで迫ることができるだろう。



水野みか子(名古屋市立大学)

マイケル・シェリー氏レクチャー傍聴記

 第108回例会後半は、アメリカの作曲家マイケル・シェリー氏のレクチャー「アメリカ映画にみられる日本の映画と映画音楽の影響、あるいはその逆」であった。アメリカ映画音楽を日本の映画音楽との影響関係という観点から紹介するシェリー氏の語り口は、日本の映画音楽の作り方に強い興味を持つひとりの作曲家としての、実践的分析を披露するものだった。
 シェリー氏が取り上げた映画作品のレパートリーは、氏の精神風景の広さを思わせる。武満徹が洋の東西の融合をめざし、黛敏郎がフランスの影響を受け、下山一二三がポーランドの影響を受けたように、日本の作曲家たちは、戦後、外国の音楽語法に取り入れながら自らの道を切り開いた。一方で、西海岸の巨匠ロジャー・レイノルズは、1960年代のフルクサスを通して日本文化から強い影響を受けたし、同じく60年代に、映画界では、『荒野の七人』が黒澤の『七人の侍』の影響下に製作され、ジョージ・ルーカスは黒澤の『隠し砦の三悪人』に強い感銘を受けて『スター・ウォーズ』の着想に至った。
 ウェスタン、サムライ、ホラー映画、アニメなど、日米の映画とその音楽には、相互強い影響関係があったのであり、シェリー氏は終始その視点から諸々の作品に触れるのだが、個々の作品分析においては、とりわけ熱い映画音楽語法論が展開された。たとえば『ゴジラ』の,入り組んだ音楽事情について、かなり詳しい分析説明がなされた。宅麻伸や沢口靖子が出演した1984年版の『ゴジラ』では、小六禮次郎によるエンディング・テーマと伊福部昭のオリジナルが混用されたが、アメリカでの上映版では、小六と伊福部のものに加えて、ホラー映画の作曲家クリストファー・ヤングの音楽が付加された。この例においてシェリー氏は、異なる音楽を接続する方法を熱く語り、また、黒澤の『野良犬』と40年代アメリカのフィルム・ノワールの影響関係は、早坂文雄が他の映画で使った和音とは異なるオクタトニックの響きによって検証された。さらに、ストーリー上のポイントになるような激しいアクションに対して、逆に静的で心理描写のような音楽を付する手法も、日本独特の映画音楽特性だと指摘する。こうした分析の結果は、作曲手法解説としても興味深く聞くことができた。
 そして、映画音楽への詳しいレクチャーの最後で、シェリー氏自身の、「様々なスタイルをコンバインした」作品として、シェーンベルクについて演奏者が「語り」ながら演奏する弦楽四重奏《Sprechstisambastimmme》が紹介された。
 おおらかでふところの深いお人柄を彷彿とさせる、表情豊かでわかりやすい解説と、日本人にも馴染みの映画作品に関するトークは、40人あまりの例会聴衆にも大変に好評だった。